ヤギ 山羊 (1)

 メエ メエ 森の小山羊 森の小山羊……
 たいがいだれでも知っている、歌える。なんで山羊がヤギなのだろう、「山」がヤで「羊」がギなんだろう、と思う人はまずいまい。しかし考えてみるとふしぎである。なんで山がヤで、羊がギなんだろう。
 今回はこの件について申しあげます。
 多くを、杉本つとむ先生の「Bok〔ボッコ〕と〈野牛〔ヤギ〕〉の論――蘭・支・日の言語交渉」(『杉本つとむ日本語講座7国語学の諸問題』昭55桜楓社、所收。以下「杉本文」と呼びます)に負っている。杉本文がたよりです。
 ただし杉本文は、問題はたかがヤギのことなのだが、非常にむつかしい。少くともわたしにはむつかしい。二へんや三べん読んだのでは、何が何やらわからない。むつかしいのは、一つには、引用されている文献が多いゆえもある。また一つには、この動物のことと、「ヤギ」という日本語のことと、漢字表記のこととが、ごちゃまぜに出てくるゆえもあるようである。問題はヤギのことなのだからごちゃまぜに出てくるのはやむを得ないのだが、それゆえに話がややこしい。なお漢字表記は必ずしもヤギを指すとは限らない。
 すでに杉本文があるのにわたしがこの文を書こうと思ったのは、わたしのわかる範囲で整理してみようと思ったゆえである。
 それで大きく、この動物のことと、「ヤギ」という日本語のことと、漢字表記のこと、三つにわけて申します。
 この動物はもともと日本(日本列島)に棲息する動物ではない。それを呼ぶ日本語の名もない。
 杉本文によれば江戸時代にオランダ人が長崎へつれてきた。新鮮な肉を食うためである。
 杉本文が引いている文献のなかで、しろうとのわたしが見てもこれはまちがいなくヤギだとわかるのは広川獬『長崎聞見録』(寛政九年、一七九七)である。絵が出ている。ヤギの絵である。ただし「ヤギ」とは言っていない。
 広川獬は医者で本草〔ほんぞう〕学者(動植物学者)である。長崎には六年滞在したとのこと。そこでこの動物を見て写生し、自著に取りこんでいるのである。左のごとく説明がある。
  〈   野牛  〔やぎう〕 
  野牛は。唐人蛮人〔たうじんばんじん〕食料〔しよくれう〕とするなり。稲佐立〔いなさたて〕山辺に飼(か)〔か〕ひおきて。唐人蛮人にうる亊なり。其かたち犬〔いぬ〕に三倍〔ばい〕す。ぶたに比〔ひ〕すれば、甚小きものなり。味ひもまた。ぶたに及ばず。しかれどもいたって温物〔うんぶつ〕なれば。嗜〔たしなむ〕もの多きをもって。ぶたよりも高い價〔あたい〕なり。毛〔け〕色はみな白色なり。よく人に馴〔なれ〕て。食〔く〕ふには忍〔しの〕びざるものなり。
                            羊の類〔るい〕なり
                            漢名〔かんみやう〕未詳〔つまびらか〕 
                            野牛和名〔やぎうわみやう〕也                    〉
 味はぶたに及ばないとあるから食ってみたのかもしれない。しかしまた食うにはしのびないとあるから、食わなかったのかもしれない。
 羊の仲間だとある。中国で何と呼ぶか知らないとある。野牛〔やぎう〕は日本語だとある。
 つまり十八世紀の末ごろまでにこの動物が長崎へ来ていたことはたしかだが、名は野牛(や ぎう)〔やぎう〕と呼んでいたらしい。
 杉本文が引く楢林重兵衛『楢林雑話』(寛政十一年、一七九九年ごろ)にこうある。行割注は字が小さいのでカッコつきになおして引きます(以下の引用文も同じ)。
  〈玉をやはらぐるには、ヤギ(野牛)の血をぬる、(浅草獣店にもヤギあり)又野牛の血にて煮てこれを刻するも可なり。〉
 楢林重兵衛は長崎通詞だが、この本は楢林がエゾ出張より江戸に帰府した際、浅草見物などした際に〈ヤギ〉を見ることもあったからだろう、と杉本文にある。浅草に獣店なるものがあり、生きた動物を売っていたらしい。長崎からはるばる江戸まで生きた動物を運び売っている業者があったものと見える。ここではカタカナでヤギと書いている。楢林は長崎通詞だから長崎でヤギを見て知っているだろう。その楢林が浅草の獣店で見た動物はまちがいなくヤギであったに相違ない。
 この動物は十八世紀末以前に日本へつれて来られ、江戸まで運ばれていた。
 この動物の日本語の呼名「ヤギ」は、杉本文で見るかぎり、一七九九年ごろの楢林重兵衛が最初である。しかし多分この時に楢林が初めてこの動物を「ヤギ」と呼んだのではなく、その前から日本語「ヤギ」はあり、用いられていたのだろう。
 ここでちょっと杉本文を離れて『日本国語大辞典』第二版(日国)の「やぎ」の項を引いてみると、引用文献の最初はこうである。
 〈日本国考略(1523)寄語略―鳥獣「羊 羊其(ヤギ)〉
 「日本国考略」なるもの、題目を見たこともない。何を調べても出てない。
 ところが連合出版の八尾さんが、早稲田大学の図書館にあることを何かで見つけ、全文をコピーして送ってくれた。感激す。近ごろは、どこにどんな資料があるかを探索できる仕組〔しくみ〕ができているらしい。便利な世の中になったものだ。
 抄本(手書きの本、写本)である。四十九葉、つまり今〔いま〕式に言えば九十八ページ。題簽〔だいせん〕(表紙のタイトル)「重刊日本考略」、中の書題は「日本国考略」ともある。つまり「日本考略」と言っても「日本国考略」と言ってもよい。同じこと。
 中国明〔みん〕の嘉靖〔かせい〕年間、十六世紀の前半、日本で言えば室町時代に、定海〔ていかい〕の人薛俊〔せっしゅん〕が書いた本である。今の中国地図を見ると、浙江〔せっこう〕省の東部の海(日本式に言えば東シナ海)の中、ただし大陸すれすれの所に舟山〔しゅうざん〕という島がある。定海はこの舟山島の中の町である。だから薛俊という人は中国の人と言っても海の人だ。「日本考略」はこの薛俊が日本のことを書いた本である。薛俊はこの定海に住む知識人であろう。
 この本の中に「寄語略」という部分がある(寄語略の「寄」は「訳」の意と自分で注釈をつけている)。日本語の単語ごとの発音を、もちろん漢字で、書いてある。その中に「鳥獣類」という部分があって、牛、鶏など生きものを言う日本語を十一語あげてある。日本にいるあまたの生きものの中からたったの十一だが、その一つとしてシラミをあげてあるのには恐れ入った。見出し漢字(中国名)は「蝨」、発音は「失辣水」とある。この発音の「水」はおかしい。日本語のシラミを聞いてその発音を漢字で書いた人は「失辣米」と書いたにきまっている。それを書き写した人が写しまちがえて「失辣水」と書いたのである。つまりこの手書き本は、日本人の日本語を聞いてその発音を漢字で書いた人の元の本ではなく、それを日本語を知らない中国人が書き写したものである。だから「米」を「水」と写したような写しちがいが多い。
 この鳥獣類十一語の中に「羊(羊其)」とある。つまり羊のことを、日本人は「羊其」と発音する、というのである。日本国語大辞典の引用文献の所には「羊其(ヤギ)」とあって、あたかも日本考略に「ヤギ」としるしてあるようだ(日国を引いた人は当然そう受け取る)が、これは日国の編輯者、もしくは編輯者に材料を与えた人が勝手にやったことである。こんなインチキをやっちゃいけない。「羊」は多分日本語の「ヤ」の音を写したのだろうが、「其」は「キ」なのか「ギ」なのかわからない。常識的には日本語の「キ」の音を写したものと見るべきだろう。
 つまり薛俊は、日本には羊がいる、それを日本人は「羊其」と呼んでいる、と判断してそう書いたのである。十六世紀の前半ごろ、多分「ヤキ」あるいは「ヤギ」という日本語があったわけである。
 日国が次に引くのは十八世紀末の文献だから杉本文と同時代である。この日本国考略なる文献がとびぬけて早い。
 ともかく「ヤギ」という日本語は十六世紀までにはできていたようである。
 日国には「語源説」という項がある。「ヤギ」という日本語がどこから出てきたかについて考察した学者の考えである。こうある。
  (1)「羊」の朝鮮音ヤングから〔外来語の話=新村出・大言海・外来語辞典=荒川惣兵衛〕
   (2)ヤギウ(野牛)の訛りか〔大言海・国語の中に於ける漢語の研究=山田孝雄〕。
 朝鮮語ヤングから、というのと、ヤギウ(野牛)から、というのと両説あるらしい。
 山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』(昭和十五年宝文館出版)を見ると第六章「源流の観察」のなかにこうある。
  山羊(専ら「ヤギ」とよぶは古く野牛(や ぎう)〔やぎう〕といへるよりその訛か。)
 これで全部である。つまり、「ヤギ」という日本語は野牛(や ぎう)〔やぎう〕のなまりか、と言っているだけである。そう考える理由や筋道については何も言っていない。
 朝鮮語ヤングから、というのもその程度のことなのだろう。
 なおわたしは朝鮮語を知らない。ヤギのことを朝鮮でヤングと言うのかどうか、言うとすればどんな発音なのか知らない。
 つまりこの動物のことをいま日本語で「ヤギ」と言うが、この「ヤギ」という日本語はどういう由来かどこから来たかわからないのである。
 これはふしぎでも何でもない。動物の名の由来なんぞはたいていわからない。イヌのことをなぜイヌと言うか、カラスのことをなぜカラスと言うか、わかるはずがない。
 ヤギはイヌやカラスとちがってこの動物が比較的近いころに伝えられたものだから、名の由来がわかるかと思ったが、やっぱりわからない、ということである。

(つづく)

ハ行転呼

 手あたり次第に本を読みちらかしてくらしていると、いろんなことばが出てくる。もちろんいちいち立ちどまって考えたり調べたりしない。たいてい意識することもなく通りすぎる。「ハ行転呼」ということばもよくお目にかかるような気がする。
 わかりきったことだからそのまま通りすぎる。今の若い人でも子供でも、「僕は言った」をボクワイッタとよむ。立ちどまって、えっ、おれは今なんで「は」をワと発音したんだ、なんて考える人はいない。
 若い人が出会うのは「は」と「へ」(「山へ行く」のへ)ぐらいだろうが、昔は、つまりわたしみたいな年寄りが子供のころには、無数にあった。一年生が習うような文でも、「カヒマシタ」(昔はカタカナ先習です。買いました)はカイマシタ「カフ」(買ふ。カッコ内は漢字かなまじりの書きかた)にカウ、「カヘバヨイ」(買へばよい)はカエバヨイ、「トホクノヤマ」(遠くの山)はトークノヤマ(トオクノヤマ)。みなあたりまえだから意識もしなかった。
 もちろん「ハ行転呼」なんてむずかしい語は知らないが、事実は誰でも知っていた。「カヒマシタ」をカイマシタと発音するのがハ行転呼である。
 たまたま大修館書店の『日本語講座6日本語の歴史』の秋永一枝先生の「発音の移り変り」を読んでいたらこうあった。
  〈このハ行転呼というのは語頭以外のは【ヽ】行音がわ【ヽ】行音に発音するように変化した現象で、カファ(川)がカワ、コフィ(恋)かコヰ、マフェ(前)がマヱ、カフォ(顔)がカヲとなる類である。(…)体系的な変化がほぼ完了したのは十二世紀までかかるようだ。〉
 つまり平安時代末頃までにハ行転呼がほぼ完了したのである。ワ行音の発音はwa、wiにwe、wo。ただし、
  〈現代の京都方言や東京方言では、母はハハ、甚だはハナハダ、家鴨はアヒル、業平はナリヒラ、尾羽はオハ、朝日はアサヒ、月日はツキヒというようにハ行転呼しない。〉
とあるように、全部が全部というわけではないのである。
 秋永先生は(残念ながら生年が書いてないのだが)東京下町の女の子のならわしで六つの年の六月六日から長唄のオッショサンに通ったが、『鞍馬山』で、
  〈「我未だ三歳の時なりしが、母常磐がふところに抱へられ」をハワと唄えと言われ不思議でならず、オッショサンにわけを聞いたが「昔からそう唱うことにきまってんのよ」と軽くいなされてしまった。その後、母の腰巾着で文楽に行くと『菅原伝授手習鑑』の中であったかしきりにハワサマを連発するので、子供心にも昔はハワと言ったんだなあと納得したことだった。〉
 東京下町の女の子が六つの六月六日からチントンシャンを習いに行ったというのは戦前、多分明治大正のことなのでしょうね。
母をハワと言ったこと、ほかの本にもあった。
  〈文節の第二音節以下に位置するハ・ヒ・フ・ヘ・ホの各音が、それぞれワ・ヰ・ウ・ヱ・ヲの音に変化する現象。(…)ほとんどの和語について起こったが、「朝日」など複合語の後項の第一音節や「はきはき」「ほとほと」など同一形態の繰り返し、アヒル(家鴨)など新しい語には起こらないこともある。また「母」・「頬」・「気配」などのように一時ハワ・ホヲ・ケワイとなったが、現在もとのハハ・ホホ・ケハイに戻った語もある。〉(『日本語学キーワード事典』朝倉書店)
  〈文節の初め以外のハ行子音がワ行子音に変化する現象。「はは【○】(母)」「ほほ【○】(頬)」「はなはだ(甚)」「けはい」などは現代ではハ行音で発音されるが、文献上、ワ行の仮名で表記されたことのあるもので、一度は転呼したが、後にハ行に戻った類であり、「はは」「ほほ」は同音のくりかえしという意識に支えられるものとも考えられる。〉(『国語学研究事典』明治書院)
 母ハハはジジ・ババ・チチ(テテ・トト)などの同音重ね家族呼称にひっぱられてハハにもどったのだろうと書いているものもあった。
 どの本にも「は」と「へ」――「山は」の「は」と「山へ」の「へ」――について書いてない。
 もっとも「文節の第二音節以下に位置するハヒフヘホ」「文節の初め以外のハ行子音」とあるから、「は」「へ」はハ行転呼に含まれるとも受取れる。
 しかし「思はず」「思へば」などの「は・へ」と「山は」「山へ」などの「は・へ」とは種類がちがう。山は山への「は・へ」は、「に」「と」「を」「が」などと同類の、短いながら独立の単語である。山は・空は・鳥は・犬は……などの「は」は山・空などとは別の独立の一語である。しかし文の頭に来ることはない。
 するとやはり「は・へ」をワ・エと言うのはハ行転呼に含まれるのだろうか。しかしそれならどの文もハ行転呼をのべるのに助辞は、へについてなんでふれてないのだろうか。
 もう一つ。「は」はワwaと言う。ならば「へ」は昔はウェweと言ったのだろうか。
 今ア行の「え」の音【おと】はエeである。しかしわりあい最近まではイェyeだった。カタカナ・ひらがなともア行のエとヤ行のエと同じ字を書くのは同じ音【おと】(音声)だったからだ、とは何にでも書いてある。江戸はyedoであった。
 すると「山へ」は山イェyeだった。ハ行転呼なら山ウェweになるはずである。
 山への「へ」はyeだったのだろうか、weだったのだろうか。

中国のことば ― 漢語と非漢語 (4)

 次に漢語について。
 漢語というのは言語の名称だが、この語(名称)は日本ではほとんど用いられない。それは漢語という日本語は日本ではよく用いられるが、その用法は人によって好〔す〕き勝手でまちまちだからである。道路とか学校とかの漢字で書いて音〔おん〕で言う日本語のことを漢語と言う人もあるし、組合でも取引でもとにかく通常漢字で書く日本語を全部漢語と言う人もある。日本語以外のある言語のことを漢語と言っても正当に受け取ってくれる日本人はあまりありそうにないから研究者も「漢語」とは言わず、「中国語」というあやしげなことばで言っているのである。
 漢語は用いられている範囲が広く、歴史も長い。相互のちがいもばあいによっては大きい。
「ヨーロッパ語」のようなもの、と言えばイメージしやすいんじゃないかと思う。
 ヨーロッパ語は、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ルーマニア語等々々、数多くある。みんな同系でよく似ている。しかし相互に通じない。その程度にはちがう。各地域の漢語もまあだいたいそのようなものである。ただしヨーロッパ語とは情況がちがう。ヨーロッパは国がちがうから、たとえばイギリス人が「ヨーロッパ語は英語を標準語にしようよ」と言ったってほかが承知するはずがないし、したがってイギリス人もそんな嫌われるだけのことを言い出すわけもないが、中国は国が一つだから昔からよくその話が出る。
 漢語は昔から地域によっていろいろある。呉〔ご〕語(長江下流域方面)、閩〔びん〕語(福建方面)、粤〔えつ〕語(広東方面)などとよく知られる名で呼ばれるのもある。毛沢東が湘〔しょう〕語(湖南方面)をしゃべるので北京の人は一言もわからなかったという話は有名である。こういうのは大分類である。たとえば閩〔びん〕語でも閩北語と閩南語とは通じないそうだ。閩南語の海を渡ったのが台湾語である。
 これらの中で最も有力なのが北方語である。長江の北一帯、北京までを含む。なお中国では「北方話」という。「北方話」という語は二十世紀にできた学術語である。
 明〔みん〕の三代め皇帝成祖は首都を北京とした(十五世紀初め)。この明のころから北方語のことを「官話」(役人のことば)と言うようになった。中国各地の知識人は科挙に合格すると北京に集って朝廷に仕える。つまり官(役人)になる。それぞれが出身各地のことばをしゃべったのでは話が通じないからみな北京のことばをしゃべる。これが官話(役人のことば)である。これら官たちが地方各地(出身地以外)へ派遣されて各地を統治する。在任期間は短い(そうきまっている)からその土地のことばを学んで用いることはなく北京の官話を話す。つまり北方語は方言の一つではあるがこれがスタンダードとなる。清〔しん〕朝の時代になっても同じである。
 この北京語を清朝の時代に中国に来た西洋人がマンダリンmandarin と言った。高官のことば、の意味である。満大人〔マンダーレン〕がマンダリンである。清朝(大清帝国)は満族つまり満洲〔マンジュ〕人が建てた国で、皇帝は代々満人である。満洲〔マンジュ〕はジュルチン(女真)であるが、彼らは文殊菩薩を信仰したので自分たちを文殊〔マンジュ〕すなわち満洲〔マンジュ〕と名乗ったのである。つまり満〔マン〕は、清朝の、という意味である。大人〔ダーレン〕は高位の人、つまり高官である。マンダリンは官話の英訳語である。
 一九一二年に中華民国ができるとこの北方語を磨いて国の(すなわち国民全体の)スタンダードランゲジとすることとした。北方語の中の俗語を取除き、知識人の間では音声語として用いられている文字語を取入れた。近代になって知識人の文字語が一般の音声語になることは日本でもいくらもある。たとえば学校や教育は知識人の文字語だが、ガッコー、キョーイクという音声語として通用するようになっている。中国でもそうやってスタンダードランゲジが作られたわけである。
 中華民国政府はこのスタンダードランゲジを「国語〔クオイ〕」と名づけた。中華民国の語ということだが、一足先に近代化した日本の「国語〔こくご〕」の影響もあるかもしれない。最初に引用した文を書いた人はこれを誤解して、ふつうの人たちの日常の話の中で「国語」ということばが用いられていると思ったのかもしれない。そうではない。政府が、あるべきスタンダードの名称として「国語」という語を作ったのである。
 中華民国は僅か三十七年しか続かなかったし、その三十七年の間も内戦があったり日本軍が侵入してきて占領支配したりとすったもんだ続きだったから、なかなか国語普及どころではなかった。
 一九四九年に中国共産党が中華民国を打倒して中華人民共和国を建てると、中華民国が
「国語〔クオイ〕」と呼んでいたものを「普通話〔プートンホワ〕」と呼名を変えて普及にはげんだ。以後七十年近く、今ではよく行き渡っている。日本人が「中国語」と呼んでいるのはこれである。なお「普通話〔プートンホワ〕」の普通〔プートン〕はひろく通じるという意味であって、日本語の「ふつう」の意味ではありません。
 普通話〔プートンホワ〕は漢語の中で政府がスタンダードと認定したものである。あくまで漢語である。だから日本人が普通話を「中国語」と言うのは不適当である。しかし今さら変るはずもない。そもそも日本人には、一つの国の中に地域によっていろんな種族の人がいてそれぞれの言語を話している、という世界的にはありふれたことがピンと来ず、一国一語感覚で「中国は中国語」と思っているのかもしれない。あるいは日本政府や教員が「中国語」と言うからそれにひきずられているだけかもしれない。しかし中国では「中国語」とは言っていないのだということは知っておいたほうがよい。

中国のことば ― 漢語と非漢語 (3)

 中国で話されている言語は数多い。五十くらい(あるいはそれ以上)あるらしい。
 だいたい言語の数を正確に、一のケタまで数えるのは無理である。たとえば地球上の隣接する(間に山か川がある)A地とB地があって、A地の人はA語、B地の人はB語をしゃべっているとする。A地人とB地人とは話が通じない。学者が研究してみるとA語とB語は同系統で、行来〔ゆきき〕なく生活しているうちにそれぞれが変化して今では通じなくなっているらしい。このばあい、A語とB語とを二語と数えるか、一語の方言とするかはだいたい政治的に決る。たとえばポルトガル語とスペイン語はよく似ているそうだが二語と数える。国がちがうからである。政治である。もしあの半島が一国だったら一語の方言関係とするにちがいない。幕末維新のころ薩摩の武士と東北地方の武士とはことばがまるっきりちがっていて通じなかったそうだが、日本語という一語の方言関係とするのは日本という国が一つだからである。政治である。そのころ日本へ来て日本各地を歩いたある西洋人が、この国では地域により六つの言語が行われている、と報告したそうだが、その数えかたもまちがってはいない。
 であるから中国のばあいも、だいたい五十か六十くらいのことばが話されている、というあいまいな数でいいのである。
 日本で「中国語」という奇妙なことばが用いられているのは上に言ったように戦争に敗けて「支那」はやめてくれと要求されたからである。それと、明治時代からの一国一語観念が重なって、中国では「中国語」という一つの言語が用いられている、という思いこみができたのだろう。それを「国語」と言い、ふつうに用いられている、というけったいな発想もできたのだろう。
 中国で話されている五十くらいの言語はまず大きく「漢語」と「非漢語(漢語以外の語)」との二つにわけられ、それぞれがいくつかあるいは何十かにわけられる。この「漢語」というのはもちろん学者の言う語である。西洋人が言うチャイニーズである。人種で言うと漢人(チャイニーズ)がしゃべっていることばである。
 まず漢語以外から申しましょう。カッコ内は中国での呼びかた。
 チワン語。チワン族(壮族)の人がしゃべっている(以下「の人」を略します)。広西壮族自治区およびその周辺に住む。「自治区」の「自治」という語に意味はない。中国共産党が外部(世界諸国)にむかって、われわれは「少数民族」の自主性を重んじてますよ、とカッコウをつけるためのまやかし語である。「省」と同類と思ってください。千五百万人くらいいるそうだ。地球全体で見れば人口千五百万人というのは立派に一つの国くらいの規模である。それが北京の漢人の中国共産党に支配されているわけだ。以下も同じ。
 ミャオ語。ミャオ族(苗族)が話す。貴州省および周辺あたりに住む。七百万人くらい。
 ウイグル語。ウイグル族(維吾尓族)が話す。新疆ウイグル自治区に住む。七百万人くらい。
 こんなふうに数々ある。日本で昔から最もその名が知られるのは多分チベットでしょうね。西藏自治区。チベット族(藏族)。チベット語(藏語)。約五百万人。チベットが中国の一部でなければならぬ理由があるわけではないのだが、漢人(中国共産党)が抑えているのである。その点はウイグルやモンゴルも同じである。
 これらを中国共産党は「少数民族」と呼んでいる。漢人に比べて人口が少数という意味である。ただし「少数民族」は必ずしも、一地域に住み独自の言語を話している同人種の集団、というわけではない。たとえば「回族」は「少数民族」の一つであるが、これはイスラム教徒という意味である。人種はさまざまだし、ある地域にかたまって住んでいるわけでもないし、「イスラム語(回語)」という言語があるわけでもない。中国共産党が「イスラム教の連中」ということでひとくくりにしたまでである。「寧夏回族自治区」という地区があるが回族(中国のイスラム教徒)が全員ここに集っているわけではない。回民(中国のイスラム教徒)は八百万か九百万人くらいいるらしいが、そのうち寧夏回族自治区にいるのはその十数パーセント、百五十万人くらいらしい。また、寧夏回族自治区の人口は五百数十万だそうだから回族以外の人のほうがずっと多いわけである。
 このように「少数民族」と言っても必ずしも独自の言語を持っているわけではない。
 なお言うまでもないことだがこれら「少数民族」の人たちはみな中国人である。

(つづく)

中国のことば ― 漢語と非漢語 (2)

 中国は広い国である。住んでいる種族もさまざまだし人口も多い。全員が中国語をしゃべっているわけではない。
 いやだいたい、この「中国語」という呼称がよくないのですね。「中国語」という呼称を用いているのは多分日本だけでしょうね。もしかしたら韓国・北朝鮮でも言っているのかもしれないが、上に申したごとく小生韓国・北朝鮮のことは全然知りません。中国にはない。中国には無論「中国」ということばはあるが「中国語」ということばはない。
 日本で一般に「中国語」という言葉ができて使われるようになったのは戦後である。多分一九四七年ごろからである。それまでの五十年ほどは「支那語」と言っていた。これは英語のチャイニーズChinese(あるいは同類のフランス語、ドイツ語)の訳語である。
 このチャイニーズは昔から西洋人が言うかなり漠然とした呼称だが、まあ常識的にだいたい、漢人(チャイニーズ)が話す言語である。その訳語である「支那語」も同じ意味であった。
 戦後、中国(中華民国)政府が日本政府に対して「支那」「支那人」をやめて「中国」「中国人」と言ってくれ、と申し入れた。
 これはよく理解できる。「支那」「支那人」ということば自体が侮蔑的意味を持っているわけではない。しかし日本人は明治二十年代後半ごろ(十九世紀末ごろ)から一般に中国人を見くだすようになった。だから日本人が口にする「支那」「支那人」はおのずから侮蔑的ニュアンスを帯びる。それは言われた中国人には敏感に伝わる。だからやめてもらいたいと申し入れたのである。
 この時の岡崎という内閣官房長官の新聞記者に対する(つまり国民に対する)発表はよくおぼえている。いかにも、いやいやながら、という顔つき、口調で、敗けたんだからしようがない、これから「中国」と言うことにします、と言った。この屈辱的な役回りが自分に回ってきたことが心の底からいやだ、という感じがもろに出ていた。
 テレビができるよりずっと前だから、あれはニュース映画で見たのだったか、岡崎長官の写真つきの新聞だったか。
 もちろん「支那」と「中国」とは同じではない。しかしこの時から日本語の「中国」はチャイナの訳語として使われることになったのである。
 なお中国人が、西洋人からチャイニーズと言われることは何でもないが日本人に「支那人」と言われるのはいやだ、というのは朝鮮人にもあてはまるらしい。韓国の人は「朝鮮人」ということばは何ともないが、日本人から「チョーセン人〔じん〕」と言われるのは非常に不愉快なのだそうである。これも十九世紀末ないし二十世紀初めごろから日本人が朝鮮人を見くだすようになり、日本語の「チョーセン人〔じん〕」が侮蔑的ニュアンスを帯びるようになったからだろう。

 中国の人は自分たちがしゃべっていることばを「中国語」とは言わない。それはあたりまえである。地球上どこでも、ある地域に住んでそこの言語をしゃべってくらしている人たちは、その言語を客観的に呼ぶ呼称を必要としない。江戸時代までの日本人は日本列島に住んで日本語をしゃべっていたが、「おれたちは毎日日本語をしゃべっている」と言ったり思ったりしていたわけではない。言語に対する呼称が必要なのは外の人である。
 それが中の人に移ることはよくある。幕末明治以後西洋人が日本に来て日本人がしゃべっていることばをジャパニーズとかハポネスとか言うのでそれを訳して「日本語」と言った。と言ってもそんなことに縁のある日本人は日本人全体の中ではごく一部だったろうが。
 中国には「中国語」ということばはない。しかしわたしはここ五十年ほどの間に一度中国の政治家が何かの発言のなかで「中国語」と言うのを聞いた(あるいは見た)記憶がある。中国は広くて地域によっていろんな種族がいろんなことばを話している、という文脈で、それら数々のことばをひっくるめて「中国語」と言った。一つの言語ではなく、あえて日本語に意訳すれば「中国諸言語」の意である。たとえて言えばインドの政治家がインド各地で話されている諸言語をひっくるめてIndian languages と言ったようなものである。たしかにそういう意味でなら中国の政治家が「中国語」と言ってもおかしくないかもしれない。languages のs、複数をあらわす接尾語が中国語にはないからである。

(つづく)
プロフィール

たかしまとしお

Author:たかしまとしお
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