『中国ひとり旅』

 『中国ひとり旅 そこを何とか泊めて下さい』 (武田亨著 連合出版)

 世界中の「貧乏旅行者」が、いま中国の各地を流れ歩いている。彼らのことを「パックパッカー」と称する。「バックパック」というのは彼らがせおっているリュックのことである。男も女もいるが、たいていはわかく、そしておおむね一人旅であるらしい。彼らは安い旅館の「ドミトリー」(相部屋)に泊まり、汽車の「硬座」(二等車)か「硬臥」(二等寝台)、もしくはバスをのりつぎ、大衆食堂で食事し、たがいに情報交換しながら、一にも安く、二にも安くをモットーに旅行をつづける。
 こうした青年たちの出身国は多くは西側先進諸国で、行き先は、以前は中近東や東南アジアがおもであったが、近年は俄然中国がはやり出したもののようである。
 武田亨『中国ひとり旅 そこを何とか泊めて下さい』(一九八七年、連合出版)は、そうした中国バックパッキングの記録である。
 「そこを何とか泊めて下さい」という、副題ともコピーともつかぬ一句が、中国貧乏旅行の一番の難点を、おかしくもピタリと言いあらわしている。中国の旅館の受付は、宿泊申込者に対して、なにはともあれまずは「没有」(ない)とことわるのである。もちろんベッドはたいていはあいているのであって、「没有」と言われた時点から、虚々実々、丁々発止のやりとりがはじまるわけだ。
 著者の武田さんは、一九五一年生まれ、七三年に明治大学を卒業、五年間都立高校の先生をしたのち、一九八二年に貧乏旅行に出た。ネパール、インド、パキスタン、イラン、シリア、ヨルダン、トルコと、バックパッカーの花道をちょうど一年かけて歩き、一九八三年五月、香港から中国に入り、広州から北京、大同、包頭、蘭州、敦煌、ウルムチ、トルファンなどを二か月かけてまわった。
 英語ができるが、中国語は全然できない。中国の人と意思の疎通をする際には、まず、ノートに「我、日本人、旅人」と書いて示したそうである。それで英語も日本語もわからない旅館の受付を相手に宿の交渉をするのだから摩訶不思議であるが、パックパッカーというのは概してそういう摩訶不思議な技倆を身につけているものらしい。
 さて、この本は、わたしにとってたいへんおもしろかった。いい本であった。それはこの本が、パックパッカーたちについて、あるいは彼らが見た中国について教えてくれたから、というだけではない。
 わたしは、この本を読んで、心を洗われるような思いをした。武田さんのすなおさ、やさしさ、心のゆたかさに打たれた。
 たとえば最初に入った広州の旅館勝利賓館で、武田さんは、四階の女性服務員たちとたちまち仲よしになってしまう。わたしの経験によれば、中国のホテルの、特に女の服務員というのは、おおむね、つっけんどんで無責任で、愛嬌のカケラも色気のカケラもない連中なのであるが、武田さんの前では、彼らはけっこう人間らしい、いやそれどころかとっても可愛い女の子の本性をあらわしてしまうのだ。
 武田さんは、彼女らと再会を約して内陸へ旅立ち、一か月後にまた広州へもどってきた。そして勝利賓館の受付で、例によって「部屋はない」「そこを何とか」の一時間にわたるすったもんだとなり、ついに最後の奥の手、ノートに「日中友好二千年的歴史、我是友好四階服務員!」と書いて示した。かくてめでたく四階のベッドにたどりつき、この中国旅行の最後の二日間を「洗濯やアイロンがけや風呂場洗いなど、かいがいしく働く彼女たちのそばに腰かけてのんびり楽しく過ごした」という。
 この美しい風景は、もちろん、なによりも武田亨さんの人がらに負うものであることは言うまでもない。
 しかしもう一つわたしは、こんなふうにも思うのだ。――中華人民共和国建国後の日本人の中国レポート、ないしその中国観は、これを「バラ色のウソの時期」、「幻滅と憤りの時期」、そして「白紙の時期」の三つにわけることができる。そして武田さんなどは、よけいな先入観のない、しあわせな「白紙の時期」に属するのではあるまいか、と。
 わたしなどは「幻滅と憤り」の世代に属するのであるが、これはあたかも、勝手に美人と思いこんでいた女が実はブスとわかって「だまされた!うらぎられた!オレの半生をどうしてくれる!」と怒り心頭に発し、もしくはそのうらがえしでひどく冷笑的になり、そのうえおせっかい至極にも「こんなブスでこの先いったいどうするのだ!」と悲憤慷慨している中年男みたいなものなのであって、これでは人に好かれるわけがないのである。
 そこへゆくと武田さんなど若い人たちは、何の予断も心理的葛藤もなく中国へ行き、腹の立つことがあっても「それでも社会主義か!」などとヤボは言わず、苦笑とあきらめを含んだ寛容でふんわりと包んでしまう。そういう人には中国のあちこちですばらしい出会いがつぎつぎに待っており、それがまたわたしなどのようなヤヤコシイおっさんの心をもろに打つ、ということなのではあるまいかと思うのである。
    (独断・中国関係名著案内(10) 『東方』1983年2月号)

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