鞍馬天狗 (2)

 加太こうじ『紙芝居昭和史』('71立風書房、現在岩波現代文庫)によると、わたしども子どもが見たような紙芝居、つまりおっさんが絵を見せながらひとくさり説明して、次の一枚を見せてまた説明して……という紙芝居ができたのは存外新しく、昭和五年なんだそうである。つい十年あまり前にできた新事物だったのだ。そして子どもをテレビに取られて紙芝居が衰退するのは昭和三十二年からだそうだから、紙芝居が盛んだったのは僅か三十年足らずなのである。加太さんはこの期間に紙芝居の絵をかいていた人なので、よくごぞんじなのである。
 紙芝居屋のおっさんの数は、昭和二十三年末に東京で三千人、二十五年に全国で五万人、とある。戦前・戦中にも全国で万をこえる紙芝居屋がいたに相違ないと思う。紙芝居の絵をかく人の收入は学校の校長先生より多かった、とある。
 この『紙芝居昭和史』には紙芝居の主題(主人公)も数々出てくるが、意外や鞍馬天狗はほとんど出てこない。僅かに一ヶ所、
〈似顔紙芝居というのは話の日本社で鳥居馬城が昭和六年頃からやっていたが、嵐寛寿郎の似顔の『鞍馬天狗』だけだった。〉
とたったこれだけである。
 紙芝居の主人公は数々出てくる。共通点は「正義の味方。強い」である。このかんたんな、しかし強烈な特徴をそなえた人物が活躍すれば、子供たちが集ったのである。鞍馬天狗ももちろん正義の味方で強い。
 右の短い引用部分によって、鞍馬天狗は映画が先であり、映画の天狗役アラカン(嵐寛寿郎)を模して紙芝居の鞍馬天狗ができたことがわかる。
 小川氏著によれば、大佛次郎の小説鞍馬天狗が最初に発表されたのは一九二四年(大正十三年)雑誌『ポケット』にのせた「快傑鞍馬天狗 第一話 鬼面の老女」で、その年のうちに映画化された。以後小説も映画も数十年つづく。映画で天狗役を演じた人も多く、この本には役者の名を列挙してある。しかしアラカンが多かったのだろう。
 わたしは幼時から本好きであったから、小説の鞍馬天狗も読んだに相違ないが、一つもおぼえていない。記録もない。
 映画も、記憶は一つもないが、さがしてみたら、記録が一つだけ見つかった。
 見たのは昭和二十六年九月一日、中学三年生である。午前中に二学期の始業式だけで、午後映画を見に行ったのだろう。
 所は住んでいた相生(あいおい)(兵庫県西南部)の映画館である。多分友だち何人かといっしょに見に行ったのだろう。鞍馬天狗はアラカン、杉作役が美空ひばりである。かりにこの映画の製作が昭和二十五年度とすると、ひばりは中学一年生である。ひばりは小学生の時から売れっ子歌手で、映画も小学生の時から出ている。この映画も、ひばりの杉作、というのが売りだったのだろう。
 左に、わたしの記録をそっくりそのまま全文引く。

 〈〔映画名〕角兵衛獅子
 〔監督〕大曽根辰夫
 〔主演〕嵐寛寿郎 美空ひばり
 〔場所〕相生館
 〔日〕九月一日
 〔あらすじ〕時は幕末、所は京都である。その頃、幕府を倒して、天皇に再び政権を戻そうとする者がぞくぞくと殺される。中でも特にネラわれているのが、通称鞍馬天狗である。数多くの志士の中でも、彼だけは捕え次第、ぎんみなしに殺していい事になっている。
  さてある時、彼は松月あんという寺で角兵衛獅子の杉作(ひばり)を助けた事から、新撰組に居所を知られ、殺されかけるが、杉作のおかげで助かり、角兵衛獅子の親方で目あかしの長七から子供たちを全部引き取って薩摩屋敷にあずける。鞍馬天狗は西郷から、大阪城へ志士の人名簿を取りに行く密使をおそって人名簿をとって来る事を頼まれる。そして新撰組のおとりに引っかかろうとするが、杉作が聞いていたので助かり、大阪城へうまくはいり込むが、ついに捕る。そして、水責めにされて今やという所を杉作にまた助けられる。やがて病気のなおった彼は近藤勇と一騎うちをして勝ち、江戸へ行く。
 〔テーマ〕幕末における志士、特に天狗の命を投げ出しての斗い。
 〔感想〕ひばりを杉作にしたのは面白いかも知れぬが、顔、声、身振りなどどう見ても女である。女が男になっているのだと知りつつ、映画に出て来る杉作は女だという観念は打ち消しがたい。
 これのロケは姫路の城でやっているので、ああ、あそこがあそこだ、あれはあすこだと、なかなか面白かった。ロケしているのを見に行ったらよかった。

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