中国のことば ― 漢語と非漢語 (4)

 次に漢語について。
 漢語というのは言語の名称だが、この語(名称)は日本ではほとんど用いられない。それは漢語という日本語は日本ではよく用いられるが、その用法は人によって好〔す〕き勝手でまちまちだからである。道路とか学校とかの漢字で書いて音〔おん〕で言う日本語のことを漢語と言う人もあるし、組合でも取引でもとにかく通常漢字で書く日本語を全部漢語と言う人もある。日本語以外のある言語のことを漢語と言っても正当に受け取ってくれる日本人はあまりありそうにないから研究者も「漢語」とは言わず、「中国語」というあやしげなことばで言っているのである。
 漢語は用いられている範囲が広く、歴史も長い。相互のちがいもばあいによっては大きい。
「ヨーロッパ語」のようなもの、と言えばイメージしやすいんじゃないかと思う。
 ヨーロッパ語は、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ルーマニア語等々々、数多くある。みんな同系でよく似ている。しかし相互に通じない。その程度にはちがう。各地域の漢語もまあだいたいそのようなものである。ただしヨーロッパ語とは情況がちがう。ヨーロッパは国がちがうから、たとえばイギリス人が「ヨーロッパ語は英語を標準語にしようよ」と言ったってほかが承知するはずがないし、したがってイギリス人もそんな嫌われるだけのことを言い出すわけもないが、中国は国が一つだから昔からよくその話が出る。
 漢語は昔から地域によっていろいろある。呉〔ご〕語(長江下流域方面)、閩〔びん〕語(福建方面)、粤〔えつ〕語(広東方面)などとよく知られる名で呼ばれるのもある。毛沢東が湘〔しょう〕語(湖南方面)をしゃべるので北京の人は一言もわからなかったという話は有名である。こういうのは大分類である。たとえば閩〔びん〕語でも閩北語と閩南語とは通じないそうだ。閩南語の海を渡ったのが台湾語である。
 これらの中で最も有力なのが北方語である。長江の北一帯、北京までを含む。なお中国では「北方話」という。「北方話」という語は二十世紀にできた学術語である。
 明〔みん〕の三代め皇帝成祖は首都を北京とした(十五世紀初め)。この明のころから北方語のことを「官話」(役人のことば)と言うようになった。中国各地の知識人は科挙に合格すると北京に集って朝廷に仕える。つまり官(役人)になる。それぞれが出身各地のことばをしゃべったのでは話が通じないからみな北京のことばをしゃべる。これが官話(役人のことば)である。これら官たちが地方各地(出身地以外)へ派遣されて各地を統治する。在任期間は短い(そうきまっている)からその土地のことばを学んで用いることはなく北京の官話を話す。つまり北方語は方言の一つではあるがこれがスタンダードとなる。清〔しん〕朝の時代になっても同じである。
 この北京語を清朝の時代に中国に来た西洋人がマンダリンmandarin と言った。高官のことば、の意味である。満大人〔マンダーレン〕がマンダリンである。清朝(大清帝国)は満族つまり満洲〔マンジュ〕人が建てた国で、皇帝は代々満人である。満洲〔マンジュ〕はジュルチン(女真)であるが、彼らは文殊菩薩を信仰したので自分たちを文殊〔マンジュ〕すなわち満洲〔マンジュ〕と名乗ったのである。つまり満〔マン〕は、清朝の、という意味である。大人〔ダーレン〕は高位の人、つまり高官である。マンダリンは官話の英訳語である。
 一九一二年に中華民国ができるとこの北方語を磨いて国の(すなわち国民全体の)スタンダードランゲジとすることとした。北方語の中の俗語を取除き、知識人の間では音声語として用いられている文字語を取入れた。近代になって知識人の文字語が一般の音声語になることは日本でもいくらもある。たとえば学校や教育は知識人の文字語だが、ガッコー、キョーイクという音声語として通用するようになっている。中国でもそうやってスタンダードランゲジが作られたわけである。
 中華民国政府はこのスタンダードランゲジを「国語〔クオイ〕」と名づけた。中華民国の語ということだが、一足先に近代化した日本の「国語〔こくご〕」の影響もあるかもしれない。最初に引用した文を書いた人はこれを誤解して、ふつうの人たちの日常の話の中で「国語」ということばが用いられていると思ったのかもしれない。そうではない。政府が、あるべきスタンダードの名称として「国語」という語を作ったのである。
 中華民国は僅か三十七年しか続かなかったし、その三十七年の間も内戦があったり日本軍が侵入してきて占領支配したりとすったもんだ続きだったから、なかなか国語普及どころではなかった。
 一九四九年に中国共産党が中華民国を打倒して中華人民共和国を建てると、中華民国が
「国語〔クオイ〕」と呼んでいたものを「普通話〔プートンホワ〕」と呼名を変えて普及にはげんだ。以後七十年近く、今ではよく行き渡っている。日本人が「中国語」と呼んでいるのはこれである。なお「普通話〔プートンホワ〕」の普通〔プートン〕はひろく通じるという意味であって、日本語の「ふつう」の意味ではありません。
 普通話〔プートンホワ〕は漢語の中で政府がスタンダードと認定したものである。あくまで漢語である。だから日本人が普通話を「中国語」と言うのは不適当である。しかし今さら変るはずもない。そもそも日本人には、一つの国の中に地域によっていろんな種族の人がいてそれぞれの言語を話している、という世界的にはありふれたことがピンと来ず、一国一語感覚で「中国は中国語」と思っているのかもしれない。あるいは日本政府や教員が「中国語」と言うからそれにひきずられているだけかもしれない。しかし中国では「中国語」とは言っていないのだということは知っておいたほうがよい。

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