中国のことば ― 漢語と非漢語 (2)

 中国は広い国である。住んでいる種族もさまざまだし人口も多い。全員が中国語をしゃべっているわけではない。
 いやだいたい、この「中国語」という呼称がよくないのですね。「中国語」という呼称を用いているのは多分日本だけでしょうね。もしかしたら韓国・北朝鮮でも言っているのかもしれないが、上に申したごとく小生韓国・北朝鮮のことは全然知りません。中国にはない。中国には無論「中国」ということばはあるが「中国語」ということばはない。
 日本で一般に「中国語」という言葉ができて使われるようになったのは戦後である。多分一九四七年ごろからである。それまでの五十年ほどは「支那語」と言っていた。これは英語のチャイニーズChinese(あるいは同類のフランス語、ドイツ語)の訳語である。
 このチャイニーズは昔から西洋人が言うかなり漠然とした呼称だが、まあ常識的にだいたい、漢人(チャイニーズ)が話す言語である。その訳語である「支那語」も同じ意味であった。
 戦後、中国(中華民国)政府が日本政府に対して「支那」「支那人」をやめて「中国」「中国人」と言ってくれ、と申し入れた。
 これはよく理解できる。「支那」「支那人」ということば自体が侮蔑的意味を持っているわけではない。しかし日本人は明治二十年代後半ごろ(十九世紀末ごろ)から一般に中国人を見くだすようになった。だから日本人が口にする「支那」「支那人」はおのずから侮蔑的ニュアンスを帯びる。それは言われた中国人には敏感に伝わる。だからやめてもらいたいと申し入れたのである。
 この時の岡崎という内閣官房長官の新聞記者に対する(つまり国民に対する)発表はよくおぼえている。いかにも、いやいやながら、という顔つき、口調で、敗けたんだからしようがない、これから「中国」と言うことにします、と言った。この屈辱的な役回りが自分に回ってきたことが心の底からいやだ、という感じがもろに出ていた。
 テレビができるよりずっと前だから、あれはニュース映画で見たのだったか、岡崎長官の写真つきの新聞だったか。
 もちろん「支那」と「中国」とは同じではない。しかしこの時から日本語の「中国」はチャイナの訳語として使われることになったのである。
 なお中国人が、西洋人からチャイニーズと言われることは何でもないが日本人に「支那人」と言われるのはいやだ、というのは朝鮮人にもあてはまるらしい。韓国の人は「朝鮮人」ということばは何ともないが、日本人から「チョーセン人〔じん〕」と言われるのは非常に不愉快なのだそうである。これも十九世紀末ないし二十世紀初めごろから日本人が朝鮮人を見くだすようになり、日本語の「チョーセン人〔じん〕」が侮蔑的ニュアンスを帯びるようになったからだろう。

 中国の人は自分たちがしゃべっていることばを「中国語」とは言わない。それはあたりまえである。地球上どこでも、ある地域に住んでそこの言語をしゃべってくらしている人たちは、その言語を客観的に呼ぶ呼称を必要としない。江戸時代までの日本人は日本列島に住んで日本語をしゃべっていたが、「おれたちは毎日日本語をしゃべっている」と言ったり思ったりしていたわけではない。言語に対する呼称が必要なのは外の人である。
 それが中の人に移ることはよくある。幕末明治以後西洋人が日本に来て日本人がしゃべっていることばをジャパニーズとかハポネスとか言うのでそれを訳して「日本語」と言った。と言ってもそんなことに縁のある日本人は日本人全体の中ではごく一部だったろうが。
 中国には「中国語」ということばはない。しかしわたしはここ五十年ほどの間に一度中国の政治家が何かの発言のなかで「中国語」と言うのを聞いた(あるいは見た)記憶がある。中国は広くて地域によっていろんな種族がいろんなことばを話している、という文脈で、それら数々のことばをひっくるめて「中国語」と言った。一つの言語ではなく、あえて日本語に意訳すれば「中国諸言語」の意である。たとえて言えばインドの政治家がインド各地で話されている諸言語をひっくるめてIndian languages と言ったようなものである。たしかにそういう意味でなら中国の政治家が「中国語」と言ってもおかしくないかもしれない。languages のs、複数をあらわす接尾語が中国語にはないからである。

(つづく)

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