戦争中の映画 (1)

 古川隆久『戦時下の日本映画』('03吉川弘之館)と櫻本富雄『大東亜戦争と日本映画』('93青木書店)を読んだ。どちらもよかった。おもしろかった。
 わたしは戦争中に映画を見ていない、と思う。敗戦の年三年生だから一人で映画館へ行くとか同級生と誘いあって行くとかは無理である。つれて行ってくれるとしたら母親だが、それどころではなかったろう。とにかく全くおぼえがないのは行ってないからだろう。
 しかしこの二冊を読むと、戦争中の映画はけっこう見ている。小津安二郎、黒澤明等々戦後の有名監督は、戦争中の作品もくりかえし再上映されたからである。再上映は戦後だいぶたってから、米軍占領が終ってからだったと思う。
 櫻本富雄さんの本に「気になるのは当時の形のまま、再上映されたのかどうかである。」(P.147)とあるのを読んでハッとした。そんなこと考えもしなかった。言われてみるとたしかにそうである。ぐあいの悪い所をちょっと削るくらいのことをしてないとも限らない。もちろんそっくりそのままかもしれない。映画のばあいは痕跡が残らないからむずかしい。
 わたしが見た(と思う)映画は左である。カッコ内の最初の人名は監督。
 『ハワイ・マレー沖海戦』('42、山本嘉次郎、特撮円谷英二)
 これは特撮が売りものである。
 『姿三四郎』('43、黒澤明、藤田進)
 柔道映画である。黒澤の最初の作品である。
 『無法松の一生』('43、稲垣浩)
 阪妻〔ばんづま〕映画。阪妻は役者の阪藤妻三郎。役者は戦後「俳優」と言うようになったが、どうもわたしはこの言いかたになじめない。なんとなくなよなよした感じがするからだろうか。
 『戸田家の兄妹』('41、小津安二郎)
 『父ありき』('42、小津安二郎、笠智衆)
 笠智衆はこの映画に出た時まだ三十代だったのだとのちに知ってびっくりしたおぼえがある。
 『花咲く港』('43、木下恵介)
 木下恵介の最初の作品である。よく戦争中にこんな映画を作れたなあと思ったのをおぼえている。映画評論家双葉十三郎が「時局意識を裏から逆手に強調している面白さは絶えて久しく見られなかったところで、ほっと一息つける作品である」とほめている(櫻本著所引)。映画評論家の水町青磁が雑誌『映画評論』昭和十九年二月号に十八年の日本映画界について「この年度の拾いものは二人の新人が登場したことである。黒澤明と木下恵介である。」と書いている(櫻本著所引)。両人の登場は事件だったのである。
 『一番美しく』('44、黒澤明)
 ガラス工場の女子工員の集団を描いたものである。スターも出てないし主役もいない。場面は工場内ばかりで、出てくるのはレンズを磨いたりしている地味な女の子の集団だけである。

 わたしが映画を見に行くようになったのは、昭和二十三年(一九四八)六年生のころからだったと思う。残念ながら証拠はない。昭和二十五年の夏休み日記が残っており、七月二十日(木)の項にこうある。
  〈晝から、立花君と松尾君と平沢君と村尾君と室井君と僕とで映画「きけ、わだつみの声」を見に行った。〉
 翌二十一日(金)にはこうある。
  〈晝から立花君と藤田君と室井君と僕とで相生館へ「インパール作戦」と「火山脈」とを見に行った。〉
 二日つづけてである。このころまでに同級生といっしょによく映画を見に行くようになっていたことがわかる。「火山脈」は野口英世の伝記映画である。
 どんな映画を見に行ったか。案内役は『週刊朝日』の映画欄であった。筆者は「Q」である。これが映画評論家の津村秀夫であることも知っていた。誰でも知っていた。津村秀夫は当時の映画好き中学生の指南役、中学生だけでなく多分広く映画好きの指南役であった。
(つづく)

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

たかしまとしお

Author:たかしまとしお
高島俊男「お言葉ですが…」ブログへようこそ!
ここでは「お言葉ですが…」の最新原稿と単行本未発表の書評などを掲載します。

単行本著作一覧・連載記事一覧は下記リンク欄をクリックしてください。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク