戦争中の新語 (1)

 本棚に、加茂正一『新語の考察』(昭和十九年七月 三省堂 国語叢書)という本があった。戦争中に出た新語の本、というところがおもしろい(以下本書を「この本」と言う。漢字はすべて今の字にします。以下同)。定価一円六十四銭。古本屋の値札がついている。大田区北千束の日月堂、二千円。昭和三十年代ごろに買ったのだろうがいい値段である。
 著者の略歴が巻頭に書いてある。
  〈明治二十四年、大阪市に生る。一高、東京帝大法科、同大学院を経て住友銀行支店長、伯林オリンピック国際委員秘書を勤め、現在国語及び外国語問題の研究。著書、国字問題十講、外来語について、ドイツの国語醇化、等等。〉
 少し変った経歴である。一八九一年生れ。住友銀行に入ったのは大正五年(一九一六年)ぐらいか。トントン拍子に出世して昭和初年ごろには支店長になったらしい。ベルリンオリンピック(昭和十一年)に国際委員秘書として行ったのはドイツ語堪能のゆえだろう。銀行に勤めつつ早くから言語研究者である。調べてみると『国字問題十講』は大正十四年に文友堂から出ている。ローマ字国字論を唱えたもののようだ。三十代前半の著書である。
 この本の刊行は昭和十九年七月だが、巻頭の「はしがき」(明らかに刊行を目の前にして書いたもの)の日づけは一年以上前の十八年五月である。当時の事情がよくわかる。紙がなく、出版界も縮小して、本を書いても出すのは大変な時代である。原稿を渡してから一年以上編集者の手元で順番待ちをしていたわけだ。新語についての本なのだから著者はイライラし通しだったろう。
 二十数年つねにノートを持ち歩いていて、珍しい言葉を聞くとすぐその場で書きとめる。あとで、と思っていると何という言葉だったか忘れてしまうおそれがある。見本をかかげてある。語だけでなく、時、所、言った人も書きとめてある。ふつうの人がふつうの会話の際に口にした言葉を主とする。新聞などで見た言葉はもとより、聞いたのでもラジオとか寄席とか、言う人があらたまって意識して口にした言葉は従とする。
 ノートは二十年分あるが、おおむね昭和六年(一九三一年)以後のものを取りあげてある。満洲事変の年であり今一般に「十五年戦争」と言われる戦争の時代がはじまる年である。さすがにいい所に目をつけて区切りとした。実際このころを境に言葉の世界も変るらしい。
 新語であれば種類や方面は問わない。たとえば、近ごろの若い女は語尾に「けど」をつけるのがよくいる、とある。「中村でございます」とハッキリ言い切らないで、「中村ですけどお…」と最後をボカすたぐいである。今もしょっちゅう聞くし女に限らないが、昭和になってから耳につくようになったらしい。しかし時局関係の語が多いことはたしかである。
 読むと内容はおおむね昭和十七年に書いたものであることがわかる。「大東亜戦争」など十六年十二月以後にできた言葉が文中数多く出てくる。十七年一月以後に書いたことは明らかである。
 しかし十八年以後の言葉はほとんど出てこない(わたしはその十八年に学校にあがった)。たとえば「興亜奉公日」が出てきて「大詔奉戴日」が出てこない。興亜奉公日は昭和十四年九月からはじまった。毎月一日である。昭和十六年十二月まで二年四か月つづいた。十六年十二月八日に米英に宣戦布告して大東亜戦争がはじまった。それで十七年一月から毎月八日を大詔奉戴日とすることがきまり、毎月一日の興亜奉公日は廃止になった。
 もちろん文中に興亜奉公日が出てくるのはよい。しかしそれなら大詔奉戴日も出て来そうなものだ。
 人の観念や習慣、物言いなどが事実に多少おくれることはよくある。十七年一月から興亜奉公日が大詔奉戴日に切りかわっても、人の意識や用語が切りかわるのは少しおくれる。その時期、十七年ごろに書いたものかと思うのである。無論大詔奉戴日だけではない。戦争中後半には毎日のように聞いたり言ったりした、空襲警報、敵機来襲、等々も出てこない。ほぼ昭和十七年に書いたものだろうと推測するわけである。

(つづく)

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