ふたつの故宮博物院

野嶋剛『ふたつの故宮博物院』 (新潮選書)

〈北京、台北に分かれて収蔵される中国の「お宝」の歴史〉

 中国の北京と台湾の台北に、「故宮博物院」という同じ名の博物館がある。「故宮」とは「故〔もと〕の宮殿」、清〔しん〕王朝の宮殿であった北京の紫禁城を指す。どちらも、清朝の皇帝が集め収蔵していた宝物――書画、陶磁器、装飾品等々を保存し展示している博物館である。
 わたしはどちらも見に行ったことがあるが、何よりその量に圧倒されたのをおぼえている。
 両博物院の関係を著者は「引き裂かれた一枚の地図」と言っている。まことに適切な表現で、もとは一つのものだったのである。
 わたしが驚いたその量だが、北京百八十万点、台北六十八万点とある。
その質は「クオリティにおいては台北故宮の方が一枚上手ではないだろうか」とある。
 ただし容〔い〕れものが違う。北京は、それらを展示する紫禁城そのものが巨大な文物である。台北は近年の建造物にすぎない。
 昔の中国皇帝の権力というのは途方もないもので、数十万点、数百万点という国中の宝物を全部、皇帝一人の所有物にした。
 清滅亡時に一部流出したが、大部分は次の中華民国のものになった。間もなく日本軍が侵入して来たので政府は、国の宝が野蛮人どもに奪われぬよう、奥地へ運んでかくした。
 日本人が敗退したあと政府はこれらを、いったん首都南京までもどした。そこヘソ連にあと押しされた共産党が戦争をしかけて来て敗色濃厚になったので、時の中華民国総統蔣介石は、これら国宝を台湾へ逃がすことにした。全部はとても無理なので、選りすぐりの逸品を、一九四八年から九年にかけ三度に分けて船で運んだ。
 中国に残ったものは当然すべて中華人民共和国のものになった。
 中国の貴重な文物は、その大部分が宋代以降のものである。それ以前のものは、唐がほろびたあとの五十年に及ぶめちゃめちゃな戦乱でほとんど失われた。したがって現在、ある程度まとまって残っていて最も価値が高いのは宋代の文物である。蔣介石が運んだのは主としてこれらである。だから台北故宮は宋代に強く、北京故宮は明清に強い。併せて「一枚の地図」である。
 蔣介石は、台湾で軍備を整え直して中国を奪還するつもりであった。その時は、これら国宝も当然本来のあり場所北京紫禁城にもどることになる。
 ところがそれがなかなか容易でないことがわかってきた一九六五年、台北に故宮博物院を開設したのである。
 その後のことがまたおもしろい。
 「台湾は台湾」の立場の民進党が政権を取ると、これを台湾の博物館にしようとする。「台湾は中国」の国民党が政権を取りもどすと、中国の博物館、という性格を堅持しようとする。
 現国民党政権下、両博物院の友好関係は急速に進んでいる。双方院長の共同記者会見で、両博物院の統一についての著者の質問に対し、北京院長は前向き、台北院長はやや留保的であったそうだ。文物は中国正統の表象なのだから、二つの故宮博物院の先行きは、ひとえに台湾が選ぶ将来にかかっている。(『文藝春秋』’11.9)

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