言葉の煎じ薬

呉智英『言葉の煎じ薬』 (双葉社)

〈「チャリンコ」の語源は何? 目からウロコの知識満載〉

 二三十年前ごろから、自転車を「チャリンコ」と言う呼称が生じた。『広辞苑』は一九九一年の第四版以後登載している。
 なぜそう呼ぶのだろう、とかねてより不審で、さきごろ「由来をごぞんじのかた御教示ください」と一文を草し、当方の宛名を附してさるところに掲載してもらった。が、どこからも通信はなかった。
 ところが呉智英さんのこの本を読んだら、痒い所に手がとどいたように、ずばり明快な答えが出ていた。
 朝鮮語の自転車〔チャヂョンコ〕から来たものなのだそうである。「『チャヂョンコ』が『チャリンコ』に転訛〔てんか〕するのは自然である。つまり、『チャリンコ』は数少ない朝鮮語起原の現代日本語なのである」とある。
 そうか、朝鮮語だったのか。わからないはずだ。
 特に、自転車〔チャヂョンコ〕の車〔コ〕に感激した。古い中国語では、車は居と同音である。呉音コ(居士〔コジ〕)、漢音キョ(居所〔キョショ〕)。現代中国語ではわずかに、象棋〔シアンチー〕のこま「車〔キョ〕」(日本将棋の飛車に相当)に痕跡をとどめるのみである。それが朝鮮語では、自転車という近代の物の名に上古音がのこっている。――なお同じ車でも自動車の車はチャなのだそうである。
 そのほかこの本には「へえっ」という話がいろいろある。
 だいぶ前アメリカ映画にThe Hanging Treeというのがあった。日本では『縛り首の木』。
 この邦訳題に問題があろうとは考えもしなかったが、呉さんは『新明解国語辞典』「縛り首:江戸時代、両手を縛って、首を切った刑」を引いて、「手縛り首切り」の意だと説いている。
 ええっと驚いて『日本国語大辞典』の「縛首〔しばりくび〕」の項を見るとなるほど、「戦国・江戸時代の刑罰の一つ。麻なわで罪人をうしろ手にしばり、前に突き出すようにした首を切ること」として、『甲陽軍艦』(17C初)以下、「縛頸〔シバリクビ〕をきられ」「縛り首を切り」等諸例を挙げてある。知らなかった。
 しかし、日本にもhangingの刑はあったはずだが、それじゃ何と言ったのだろう、と死刑の歴史をしらべてみたら、意外や遠く律令時代の死刑の一つに「絞〔こう〕」が規定されているだけで、平安以後江戸時代の末まで、hangingはない。したがってそれを言う日本語もない。「絞首刑」は明治十年代の近代刑法以降である。江戸時代の死刑は圧倒的に斬首が多い。
 罪人の首に綱〔つな〕を巻いて宙吊りにするやりかたは、容易に考えつくだろうし、残忍性も比較的少いと考えられるし(だから現代はこれのみである)、あとしまつも簡単だろうに、なぜ、人の頭部を胴体から切断し、血が噴出してあたり一面血だらけになる刑ばかりおこなって宙吊りを選ばなかったのか、不思議である。宙吊りは恨みが残って化けて出るという観念でもあったのだろうか。
 その他、「やおら」はゆっくりとの意であって、「突然」の意に用いるのは誤用、とある。えっ、「やおら椅子から立って」は「急に」「勢いよく」の意味だと思っていた。辞書を引くとまことに呉さん仰せの通りである。恐れ入りました。脱帽。(『文藝春秋』’10.9)



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