裁かれた命

堀川惠子『裁かれた命――死刑囚から届いた手紙 』 (講談社)

〈極刑に処された、ある男の人生〉

 昭和四十一年(一九六六)五月、東京国分寺市の住宅地で強盗殺人事件があった。殺されたのはこの家の主婦、奪われた金は二千円。
 現場に残された指紋から足がついて、犯人は四日後に逮捕された。杉並区高円寺に住む長谷川武、二十二歳、元自動車塗装工。
 同年十一月に東京地方裁判所八王子支部の裁判で死刑の判決が下り、翌昭和四十二年五月東京高等裁判所でも死刑、翌四十三年四月最高裁で確定し、四十六年(一九七一)十一月に絞首刑が執行された。
 この本は、犯人長谷川が死刑になってから約四十年後の二〇一〇年に、この事件、および犯人長谷川とその周辺について調べて書いたものである。
 この事件は、犯人が犯行事実について争わず、判決にも不服がなく、一審の国選弁護人も異論がなく、したがって裁判はわずか二回とすらすら進み、当時から世間で問題になっていない。問題になるようなところが何もない事件である。それでも最高裁まで行ったのは左の事情による。
 犯人長谷川は母との二人ぐらしであった。長谷川は一審の死刑判決を当然と受け入れて控訴せぬつもりでいたところ、母が、控訴しなければわたしは生きていない、と言うので、判決に不満はありませんが母を徐々にあきらめさせるために形だけ裁判してください、という変った控訴趣意書を出して控訴した。二審で別の国選弁護人がついたが、この人が本人より熱心で、控訴棄却のあと、最終審では自分を私選弁護人に指定してくれ、弁護料は要らないから、と犯人に頼みこんだ。そういうわけで最高裁まで行ったのである。
 四十年も前の裁判だが、粘り強く熱心な人が本気になって調べればこんなに出てくるのか、と驚くほど多数の人や資料があらわれる。子供のころの友だち、犯行直前までの雇い主から始まって、捜査を担当し死刑を求刑した検事、判決した裁判官、最期の日まで一緒だった教誨師、等々。二、三審の弁護士はすでに死去していたが、文書多数をのこし、秘書だったその娘(もうおばあさんだが)がよく記憶していた。
 また犯人自筆の手紙など多数がのこされていて引用してある。小中学校とも成績不良で手紙はもとより字を書いたこともないというが、拘置所に入ってからは実によく手紙を書いている。誠実明晰で、その時その時の自分の気持をこれだけ的確に書ける人はめったにないと感じる。死刑が確定してから独房で飼って可愛がっていた文鳥の描写は目に見えるようだし、死刑囚ばかりの野球の試合の様子などもいい。
 本書を読んで強く感じるのは、第一に、著者のまじめさと熱意、一書にまとめる構成力である。
 つぎに、日本にはなんといい人がどこにでもいるのか、ということだ。著者が探しあて会った人、もう死んでいた人、みないい人ばかりだ。たとえば中学生の時家出して以後行方知れずだった犯人の弟はもう死んでいたが、最後に勤めていた桐生市のマージャン店主など。この本は、日本人の善意に胸を熱くさせてくれる。(『文藝春秋』'11.7)

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