中国文学 1

中国文学研究会『中国文学』――日米開戦まで

 『中国文学月報』は、第六十号(昭和十五年四月)から改組した。題を『中国文学』と改め、発行所を生活社(当時中国関係の本を多数出していた出版社)とした。編集はひきつづき中国文学研究会で責任者は竹内好である。月刊、毎号四十八ページ、定価二十五銭。年会費は三円。改組時の会員は約三百人である。
 ページ数が一挙に三倍になり、当然内容もふえ、執筆者も多彩になった。それに字が大きく読みやすくなった。これから二年ほどが一番おもしろい。
 執筆者ではなんと言っても吉川幸次郎の登場が大きい(呼捨ては気がとがめるが釣合上すべて敬称略とします)。
 吉川は竹内の天敵の一人である。第五十九号で竹内はこんなことを言っている。「長沢、吉川、倉石、目加田。この品種は俺にはなかなか興味深い。俺は他人には不遜かもしれない。だが絶対者に対してはこの人たちほど傲岸に構へてゐない。心みち足りた者は基督さへ救ひ難い」と。
 竹内は「何の因果で支那文学をはじめたかと今も悔んでゐる」人間である。一応研究者とは言っても、実際の研究の手前で、どう研究すればよいのか、何を目的に研究するのか、それが何になるのか、等々と思い悩むことを専らにしている研究者、目加田誠に言わせれば、「まるで祭壇のぐるりをまわつて呪文をとなへてゐるやう」な人である。だから上記四人のような、そうした悩みをちっとも持たず、研究の大道を堂々と歩んでいる「心みち足りた者」を見るとムカついてしようがないのである。
 目加田は月報の当初以来時々寄稿していたが、第六十号で竹内に漫罵されて以後は書いていない。
 長沢規矩也は第六十二号辞典批判特集に原稿を依頼されたが病気を理由に書かなかった。まあ書かないだろうな。
 倉石武四郎は一度だけ、第七十一号に「支那語教育について」を書いている。立派な論である。これが竹内の気にくわなかった。内容が気にくわないのではない。臆面もなく正論をはいてケロリとしている鈍感が竹内にはがまんならぬのである。それで次々号に「倉石武四郎著『支那語教育の理論と実際』批判」という大見出しを立てて悪口を言っている。正しい道を確信にみちて歩み空虚を感じないようなやつはオレはきらいだ、というような悪口である。竹内にしてみればおよそ支那を研究対象とすること自体が原罪なのだから、もだえ苦しみがなければならぬはずなのだ。
 しからば目加田・倉石よりいっそう正々堂々煩悶なしの吉川がなぜ加わることになったのか。
 改組以後「翻訳時評」という連載が始まり、最初の二回神谷正男が書き、ついで竹内が二回書いた。竹内の時評はほとんど総論ばかりだが、唯一各論に及んだのが吉川の訳書で、「吉川幸次郎氏の訳した胡適『四十自述』(創元社)は、原文も胡適流の嫌味な低調な文章だが、訳文は原文よりもなほ低俗である。とくに会話の部分は殆ど文章をなしてゐない」等々とけなし、さらに、初歩的誤訳がある、と書いた。書いても本人が見ないと張合いがないから、京都の吉川のもとへ送った。
 それから両人の手紙のやりとりが数度あって、全部第七十一号(昭16・5)にのっている。これを読んでつくづく感心するのは、吉川さんはちっともおこらないんですね。翻訳技術論に終始している。最後に「真摯な、しかし感情的ではない討論が発展することを希望しつつ筆を擱きます」と一言あるのみ。
 これにはさすがの竹内も閉口して、「誤訳があるぞ」はとりさげた。とは言え、「では、吉川氏の訳には誤訳がないかと云ふと、僕はやはりありさうな気がするのだ。誤訳のない翻訳など僕には信じられないのだが、たゞ僕は吉川氏より支那語が下手だから、これ以上云ひ張る確信がない。実証のないことは云はない方がいいだらうから、取消しておく」といかにも無念そうである。
 これがきっかけで、第七十六号から三回にわたって吉川が「翻訳時評」を書いた。これはもう、この時期のこの雑誌、いや全期を通じてもダントツに立派なものだ。実藤恵秀の「日本雑事詩」訳のまちがいから説き起し、明治以来の支那学の宿弊に説き及んだ井然有序の論である。もっとも世の中には妙な人もいるもので、柳田泉がこれを読んで憤慨し、「いさゝか相互批判に酷に過ぎ、大同団結的前進の気もちが少し足りない」「あれほどまでに切り込まなくても…」と吉川を批判している(なお吉川の時評は「翻訳の倫理」と改題して秋田屋刊『支那について』に収められた)。
 わたしが最も好感を持った文章を一つ。
 昔現代文学の翻訳を少し読んだころ、岡崎俊夫の日本語が一番好きだった。惜しいことに早く亡くなった。その岡崎が第七十四号に「悔恨」という文章を書いている。数号後に松枝茂夫が「何を今さら」と評しているようにあたりまえのことを言ったにすぎないものだが、しかしやはり支那文学に文学を求めた者として切実だし、何よりも岡崎の純な心がよくあらわれている。この「悔恨」と無縁な人はしあわせである。
 「僕はこのごろ支那の現代文学に興味を失つてゐる、嫌悪をさへ感じてゐる。数年の間それのために煩はされもともと貧しくひ弱な自分の文学の土壌を荒したことを思ひ口惜しくてならない。
 ひところは、支那の現代文学は日本で不当に遇されてゐる、西洋の名もない作家のものまで盛んに訳され読まれるのに支那の現代文学はなぜ余り顧られないのであらう、日本人が支那を侮蔑してゐるせゐかも知れない、或ひは文学の性格が西洋のそれと違つてゐて取つつきにくいためかも知れないなどと考へてみた。しかし今にして思へば、読者は僕らよりはるかに賢明であった。支那の現代文学が顧られないのは面白くないからである。性格の相違といふことも一応は考へられるけれど、何より文学としての水準が西洋の下流の文学にも及ばないからである。
(…)
 現代文学の中によいものが全くないわけではない。魯迅は立派である。郁達夫、沈従文、蕭軍らも数篇の読むに足る作品を持つてゐる。しかしその他の有象無象はその名を知らなくても決して恥ではない。寧ろ知つてゐる方が恥かも知れない。それらを訳したり論じたりするのは尚更恥づべきことであらう。僕も些かこの恥づべきことをやつた。後悔してゐる。(…)
 云はれない先に断つておくが、僕が支那の現代文学をつまらないといふのは、僕の支那語の力が足りないからではない。僕の支那語の力はいまだに頼りないが、それでも元に比べれば少しは読めるやうになつてゐる。少しでも読めるやうになれば、だんだん面白くなる筈なのにだんだんつまらなくなるのはどうしたことか。支那語がよく出来て支那の現代小説が面白いと感心する人があるとしたら恐らくその人は文学といふものがわからない人であらうと僕は思ふ。
 また一人の支那の作家がこんな小説を書いた、それはまづくはあるが彼が今の支那の状態で書いたといふことに注意しなければならない、我々は彼の下手な面白くない作品の中から支那人としての悲しみ怒りを酌みとつてやらなくてはいけない――と、このやうにいふ人があるとしたら、それに対し僕は、それは広く文化の問題であるかも知れないが、文学の問題ではないと答へたい。(…)ああ、僕は誰に向つて何を云はうとしてゐるのか。つい筆をとつたもののもう厭だ。……」
(『東方』'93.11)

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