パンとペン

黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い 』 (講談社)

〈「よろず文章代作請負会社」に集った〝夢想家〟たちの群像〉

 明治から昭和初めにかけての社会主義者堺利彦〔さかいとしひこ〕を中心に、その仲間たち――幸徳秋水〔こうとくしゆうすい〕、大杉栄〔おおすぎさかえ〕、山川均〔やまかわひとし〕、荒畑寒村〔あらはたかんそん〕らの「闘い」を描いた伝記である。よく調べてある。文章もしっかりしている。身勝手で、夢想家で、多分に浮浪者的・ルンペン的気質を持つインテリである社会主義者たちの群像が、おもしろく書けている。
 社会主義者とは、日本を社会主義の国にしようとめざした者たちである。社会主義は、二十世紀に、堺たちの時代よりはすこしあとになって、世界の多くの国で実際に行われた。それは、現実形態としては、共産党が専制権力を握り、土地と資本を公有化(事実は党有化)して国を運営する方式をとる。それが、実施された国の国民に巨大な災厄をもたらし、すべて失敗に帰したことは歴史が証明する通りである。現在の世界でなおほぼ純粋に社会主義が行われているのは北朝鮮ぐらいのものである。
 社会主義国で権力を握ったのはこの本に登場する日本の社会主義者のような人たちではない。どこの国にもそういうお人好しのインテリの社会主義者はいたが、ごく初期の段階で皆粛清されている。権力を握ったのはスターリンや毛沢東のような、人間百万人二百万人殺すことを蚊をつぶすほどにも思わない冷酷無慈悲な社会主義者である。つまり日本の社会主義者は、日本の国民を不幸におとしいれ、自分たちが真先に粛清されるような社会を日本で実現しようとしていたわけだ。
 したがって、お世辞にも彼らを「先覚者」と呼ぶことはできない。しかしこれら社会主義者は、今日から見てもけっこう魅力的である。なぜか。
 本書を読むと、当時の日本の、天皇制権力の悪質、兇暴がよくわかる。
 大逆事件では幸徳秋水ら十二人が死刑になり十二人が無期懲役になったが、天皇暗殺を考えたのは宮下太吉ら四人だけであとの二十人は冤罪である。堺利彦らは獄中にあったおかげで命助かった。なお大杉栄が殺された時も堺らは獄中にいた。憲兵隊は市谷刑務所に堺らをよこせと要求したのだが、所長がことわってくれたおかげで助かった。監獄は安全地帯なのである。
 しかし大逆事件によって、社会主義者は社会主義者であるという理由だけでいつ殺されてもおかしくないことがはっきりした。しかし堺らは社会主義者でありつづけた。もっとも、雑誌を出せば発売禁止になるし講演をやればしゃべり出したとたんに警官から「弁士中止」を命じられるしで、まともな発言はほとんどできなかったのであるが――。なお「君主制の廃止」は、言えば死刑だからまちがっても口にできなかった。
 堺の知識界での交友は広い。全国に支持者も多い。これは当時の日本に、権力に対して不快感、反感を持つ人が多く、彼らにとっては、いくら弾圧されても権力に盾つく姿勢を崩さない堺らは希望の星だったからである。
 売文社はこの「冬の時代」に堺たちがやっていた「よろず文章代作請負会社」である。ペン(文筆)でパン(生活費)を得ていたわけで、そのエピソ ードの数々が興味津々である。
 附記。著者は本書刊後死去された由。
(『文藝春秋』'11.1)

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