江戸の読書会

   前田勉 『江戸の読書会 会読の思想史 』 (平凡社選書)

〈身分と勝敗が衝突する知的な「遊び」〉

 若いころから、ずいぶん読書会はやってきた。「この本をいっしょに読もう」と仲間があつまって読む。規約などうるさいことは何もない。途中から加入する者もいるし、来なくなるやつもいる。すべて自由である。読むのは外国語のものだから下調べして行って、順ぐりに読んで訳したり説明したり質問したりしながら進んでゆく、というふうである。
 しかし、日本人はいつからこういうことをやっているんだろう、なんて考えたことはなかった。
 この本は、その昔の読書会について書いたものである。昔は「会読〔かいどく〕」と言ったのですね。
 始まったのは京都の伊藤仁斎〔じんさい〕の学塾と江戸の荻生徂徠〔おぎうそらい〕の学塾、特に後者がきっかけで全国に広まったとあるから十八世紀である。読むのは儒教の経典である。やりかたはわれわれの読書会と大差ない。ただ、多くのばあい先生がいる。先生はみんなの解釈や討論を黙って聞いていて、最後に優劣を判定し、採点する。
 著者は、会読を主要学習形態とする日本の学問が、世俗の名利と結びつかない「遊び」であったことをくりかえし強調する。中国・朝鮮では、学問は高官位高収入に直接つながるものであったのだから、これは根本的な相違である。この、純粋に「遊び」であるという点は今の読書会と同じである。
 大いにちがうのは、昔の会読は激烈な「競争」の場であった、という点だ。うまく読めた者は席順があがり、読めなかった者は席順がさがる。寄宿寮では寝場所までちがってくる。会読は、遊びのなかでも、勝ち負けを争う遊びである「アゴーン(競争)」であったのだ、とある。
 ややこしいのは、江戸時代は身分制社会だったことだ。身分のあつかいは私塾と藩校とでよほど違う。私塾は、生徒の入学時の年齢・学習歴・身分の違いをゼロにして、ヨーイドンで競争を始めさせる所が多い。武士と庶民さえ一応対等ということになる。藩校はそうはゆかない。家老の子もいれば下士の子もいる。身分が物を言う。
 この本には福沢諭吉がよく引用されるが、福沢は、身分は低いが学校で会読となれば「何時〔いつ〕でも此方〔こっち〕が勝つ」と言っている。身分の上下と会読の勝ち負けとが衝突するのである。
 西洋の学術が入ってくると、会読は消滅した。その初めは幕末の文久三年(一八六三)に医学所頭取となった松本良順である。それまでは、学生がオランダ語の医書を読んで、これは前置詞だとか接続詞だとかやかましくやりあうのが医学所の勉強だった。遊び・競争である。医術とは全然関係ない。
 良順はそういう勉強を一切禁止し、頭取が一方的に、理化学、解剖学から始めて内科学・外科学まで系統的に講義し、学生はそれを聞いて記憶する西洋式のやりかたに改めた。確かにそうでなくては近代的医師は養成できないが、役人は教室が急に静かになったので良順に苦情を言ったそうだ。
 明治以後の学校は皆西洋流・松本良順式で、知識を系統的に教える。
 われわれの時代の読書会は、自発性・対等性など昔の会読と似た所もあるが、勝負の要素はない。会読の伝統とは断絶したものであったようだ。
(『文藝春秋』'13.2)

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