天下無敵のメディア人間

   佐藤卓己 『天下無敵のメディア人間 喧嘩ジャーナリスト・野依秀市 』 (新潮選書)

〈「言論界の暴れん坊」と異名をとった男の生涯〉

 傑作『「キング」の時代』(岩波書店)でメディア史のおもしろさを広汎な読者に知らせた佐藤卓己さんが、またまた、飛びきりのメディア人間野依秀市〔のよりひでいち〕の明治から昭和戦後にまでまたがるハチャメチャな活躍を、見事に描き出す本を書いてくださった。
 「広告媒体(メディア)」は第一次大戦中にアメリカで生れた言葉である。野依秀市のメディア活動はその前から始まっている。
 大正デモクラシーの時代は、日露戦後、明治40年ごろから始まる。民衆の時代であり、広告の時代である。一人の賢者の知遇を得るより千人の愚者に名を知られるほうがずっと値打ちがある。野依はこの時代のトップバッターである。
 野依は広告取りの達人である。広告取りはユスリと紙一重である。
 一方、野依がその長い広告人生で売り広めた商品は「野依秀市」であった。野依秀市の知名度があがれば金はいくらでも入る。入った金で野依秀市を売る。時代を先取りしていた。
 初めは、明治38年20歳、慶応の商業夜学校生の時に友人と作った『三田商業界』というごく小さな雑誌である。小さいが広告は有名大企業からうまく取ってくるから金はもうかる。
 雑誌の呼び物は各界著名人の放談であった。初め、慶応出身の著名人から名刺を1枚もらう。同じものを多数印刷して表に「この者は前途有望の青年です。引き立ててやって下さい」と書いて著名人に会い、談話を取って大きくおもしろく書き、紹介状をもらってまた別の著名人に会う。つまりイカサマだが、だれもが野依に好意を持ったというから、トクな人柄なのである。
 3年後に『実業之世界』と誌名を変えたころには、各界著名人――財界の大御所渋沢栄一、早稲田総長(首相)大隈重信、文壇の大家三宅雪嶺等々が後楯につき、発行部数も数万部に達していた。
 野依は数百冊の著書を出したが、皆他人に書かせたものである。書き手はたいてい堺利彦、山川均など一流の社会主義者だから、文章も達者だし、社会批判や資本主義批判も鋭く、よく売れる。「おれの本はみな人に書かせたものだ」と威張るその文章も堺などが書くのである。雑誌も、そのものズバリの『野依雑誌』など数多く出した。
 しょっちゅう恐喝罪で監獄に入る。その際は東京の一流の会場に各界著名人多数を招いて盛大に入獄歓送会を催し、はなばなしく入獄する。出獄の際も同じ。そして大々的に獄中記を発表する。弁護士は常に名の売れた人権派弁護士が何人もついている。
 どこにでも誰にでも喧嘩を売る。政府、大臣、大企業、有名人、いっさい容赦しない。特に昭和初年の軍部攻撃はすごい。あの時代に野依ほど正面から軍を批判した者はいない。
 と言って、左翼というわけではない。「敵本位主義」だから、右を叩く時は左、左を叩く時は右である。軍部を攻撃する時は天皇をかついだ。
 戦争中は「米本土空襲」を看板に、東条英機首相の非科学性と言論圧迫に敢然と刃向かって見せた。
 メディアのおもしろさと怖さを生身で体現した一種天才人物の生涯とその時代が目に見える1冊である。
(『文藝春秋』’12.7)

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