国語という言葉 (4)

 川村湊『海を渡った日本語―植民地の「国語」の時間』('94青土社)はたいへんよい本である。しかし今のふつうの日本人にとっては必ずしも愉快でない本かもしれない。題に見える通り、戦前の日本軍がアジア各地へ出て行って占領支配し、日本(日本人)がそこへ日本語を押しつけて回ったことを書いた本だからである。著者は無論それを否定的に見ている。章ごとの題(地域)は左の通りである。
 一南洋群島、二台湾、三シンガポール、四南方、五朝鮮、六満洲、七北海道・樺太
これを戦前の、朝日新聞社刊「国語文化講座」シリーズの第六巻『国語進出篇』(昭和十七年一月)と読みあわせるとおもしろい。昭和十七年(一九四二年)一月は昭和十六年十二月に日本が英米に戦争をしかけた直後であるが、内容は明らかにすべて、対英米戦開始以前に書かれたものである。川村著と同じ事態を描いたものだが、こちらは無論皆肯定的に見て書いたものである。
 二十三人の研究者がそれぞれの題目で書いている。全般的なものもあり、各地域個別のものもある。今はめったに見かけない本だろうから要目をお目にかけよう。個別のもの八本の地域と筆者は左のごとくである。各項の下にどう呼称しているかを附記しておく。
  台湾―加藤春城 国語
  朝鮮―森田梧郎 国語
  関東州―大石初太郎 日本語
  南洋群島―麻原三子雄 国語
  満洲国―丸山林平 国語 日語
  蒙疆―宮島英男 日本語
  中華民国―太田宇之助 日本語
  仏印及び泰国―高宮太郎 日本語
 もしかしたら今のふつうの日本人は各項目の指す所もわからないかもしれないので、簡単に御説明しよう。なお一九三〇年代・四〇年代初現在なお流動的な所もある。たとえば南洋は第一次大戦で国際連盟から日本への委任統治領になったから呼称は委任統治領であったが、一九三三年に日本は国際連盟を脱退したから委任統治領ではなくなり自然日本の領土になり、その後呼称は南洋群島になり言語は国語になった。
 関東州。中国遼東半島南端の旅順・大連・金州を含む地域。日露戦争後日本の支配地になった。領土ではなく租借地だが事実上の領土である。一九三二年満洲国ができると地続きになったが満洲国には含まれない。
 南洋群島。ミクロネシア方面の数百の島。サイパン、グアム、トラックなど。ドイツの領土だったのを第一次大戦で連合国の日本が取り、国際連盟から委任統治領として認められた。一九三三年国際連盟を抜けたので日本になった。
 満洲国。中国東北。一九三一年満洲事変により日本軍が取り、一九三二年(昭和七年)日本が国を建てた。三四年帝国とした(皇帝溥儀)。日本は独立国と言ったが日本以外は独立国とは認めなかった。今は日本の「傀儡〔かいらい〕国家」と言うのがふつうである。日本の領土ではないが事実上日本の領土である。
 蒙疆。現在の中国内蒙古東部および山西省北部。宮島が本文冒頭に、
  〈蒙疆とは支那亊変によつて生れた言葉である。〉
と書いている。言葉は蒙古方面地域という意味の語として支那事変発生ごろにできたのだろうが、日本軍が事実上支配していたのはその前からだろう。
 中華民国は無論蔣介石国民党の中華民国ではなく、汪精衛(汪兆銘)の中華民国(日本支配地域)である。
 仏印はフランス領インドシナ、今のヴェトナム。泰国はタイである。
 日本(の領土内)では「国語」と呼んでいる。南洋群島はもと委任統治領だが日本のうちなので国語である。
 日本が支配しているが日本ではない所では「日本語」である。
 ややこしいのは満洲国である。ここは日本の認めるところではレッキとした一箇の独立国である。満洲国には「国語」が三つある。「日語」と「満語」と「蒙古語」である。実際にこの国の中で話されている言葉はもう一つ俄語(ロシア語)があるが、これは満洲国の国語には入っていない。
 三つのうち「日語」は無論日本語である。日語は三つの国語の中で地位が高く、中心である。
 「満語」というのは中国語(漢語、チャイニーズ)である。これを日本人は(満洲国は)「満語」と呼ぶのである。満洲国の国民(住民)の大多数はこの「満語」をしゃべっている。この人たち(チャイニーズ)を日本人は「満人」と言っているわけである。
 「蒙古語」はモンゴル語。満洲国の中でモンゴル寄りの地域のモンゴル人がしゃべっている。
 なお八つの個別項目のほかに、
  外地の国語教育―大岡保三
という概括項目がある。筆者大岡は文部省の国語課長である。国語課は一九四〇年(昭和十五年)十一月にできた。冒頭に、
  〈外地といふ言葉は、こゝ四五年来しきりに使はれるやうになつたが、何時誰がこれを用ひ出したものかは明らかでない。もとより国語辞典などには見当らない新造語で、従つてその意味もまちまちまちである。〉
として、検討のあとに自分の意味を書いている。
  〈外地とは、台湾・朝鮮・樺太の新領土及び関東州・南洋群島の新統治地を指し、内地と相対して我が国土の一部を形成するところと言ふべきであらう。〉
 「新領土」とは明治以後日本になった所である。台湾と朝鮮と樺太とは日本の領土だから問題なく日本であり、関東州と南洋群島とは領土ではないが統治地だから日本の範囲である。そこまでが日本だから使う・教える言語は国語である、ということであろう。なお役所別では、台湾・朝鮮・樺太・南洋群島は「拓務省統理区域」であり、関東州は「対満事務局所管」だとある。蒙疆は「興亜院管轄の地域」だから外地に含めるのはよくないと言っている。つまり外地ではなく外国に入る。
 簡単に言うと、日本は内地と外地にわけられる。内地は、北海道・本州・四国・九州である。外地は、台湾・朝鮮・樺太・関東州・南洋群島である。
 日本で用いられる言語が国語である。
 もう一つ概括項目として、
  東亜共栄圏に於ける日本語―関口泰
がある。東亜共栄圏は日本および日本が支配する地域だが、ここでは日本以外の日本が支配する地域について述べている。具体的には、満洲国・蒙疆・中華民国・仏印及び泰国、である。これら地域では「日本語」である。
 なお東亜共栄圏は一般には大東亜共栄圏と言っていた。そう厳密に具体的に範囲を意識していたわけではないが、おおむね、マレー、シンガポール、ビルマ、ジャワ、スマトラなどを含む広い範囲であった。

(つづく) 

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