国語という言葉 (2)

 台湾にはいろんな人がいたが、大きく三つ、あるいは二つにわけられる。
 もともと台湾にいた人。この人たちが古くどこから台湾へ渡ってきたかはわからず、学者によって諸説あるようだが、顔形や言葉などから、南の方から島伝いに来たと考える人が多いようである。原住民、と呼んでおく。
 向いの中国大陸からもぽつぽつとは来ていたようだが、どっと来たのは十七世紀である。満洲族(清〔しん〕国人)が中国大陸を制圧して南へと押して来たので、台湾の対岸方面の人たちが台湾へ逃げて来たのである。多いのが閩南〔びんなん〕人。閩〔びん〕は今の福建省で、閩南はその南部である。閩南人は閩南語(漢語の一類)を話す。次が客家〔ハッカ〕人。広東省北部など中国南部にかたまって住む。古くはもっと北の方にいたのが戦乱などでこの地方へ流れて来たので「客家」と呼ばれる。「客」は「他の所から来た人」の意。客家語(漢語の一類)を話す。
 この閩南人と客家人が大挙して台湾へやって来た(逃げて来た)。閩南人も客家人も漢人であるという点では一つと数えてもよい。
 台湾は西側(大陸側)の狭い地域が平地で、中央から東側にかけては高い山である。原住民はもともと平地に住んでいたのだが、大陸から来た漢人に土地を奪われ追い立てられて山地に入った。それで漢人は原住民を「高山族」と呼んだ。のちに日本人が台湾へ行って、この高山族を高山族〔たかさんぞく〕と読んで、そのタカサンゾクに漢字を当てて高砂〔たかさご〕族と言うようになった。
 だから十九世紀末に台湾が日本になった時に台湾にいた主な人たちは山地人(高砂族)と閩南人と客家人の三つ、閩南人も客家人も漢人だからまとめて一つとすれば山地人と漢人の二つである。
 なお山地人は多くの部族にわかれていてそれぞれ話す言葉が違う。共通語はない。
 「台湾語」というのは閩南語を指して言うばあいが多い。閩南系の人が多いからである。
 日清戦争後日本が台湾を領有すると、台湾各地に学校を作り子供たちを学ばせることにした。学校では「国語」を教え、各科目とも国語で教えた。この「国語」とは日本語である。台湾語は一切用いないし使わせない。
 「国語」と「日本語」とは指すものは同じである。日本人が日本でしゃべるものは「国語」と呼ぶ。外国人が学んだりしゃべったりするものは「日本語」と呼ぶ。ここでは一応簡単にそう区別しておく。たとえばアメリカ人が日本へ来て日本人に日本の言葉を習って話すようになればそれは「日本語」である。アメリカ人は日本人ではないのだから――。つまり「日本語」と言えば外国語の一つであり、地球上にあまたある言語の一つである。
 十九世紀末以後台湾は日本であり台湾人は国籍日本人なのだから、日本語は外国語の一つである「日本語」ではなく、自分の国の言葉である「国語」である。――リクツとしてはそれで通っているようでもある。しかし台湾の子供たちにとって日本語は一言もわからない外語(外国〔ヽ〕語ではないにせよ)なのだから、台湾の子供たちにとっての「国語」は変な感じでもある。
 しかしともかくこの時、「国語」という語、国家としての語が必要になったのである。それを日本本土でも用いるようになったわけだ。
 余談。わたしは一九五五年(昭和三十年)に大学に入って、二十年ほど東京の大学にいた。台湾からの留学生が大勢いて、仲良くなった。皆日本語を話した。子供のころの話をよく聞いた。彼らが学校にあがったころの台湾は日本で、学校では日本語で授業をしていたのだから日本語ができるのは当然である。
 満六歳で学校に入ると授業はすべて日本語だった、という点はわれわれ日本の子と同じだが、情況は全くちがう。先生が話す言葉は一言もわからない。そりゃそうだ。それまで家庭でも、近所の子と遊ぶ時も、台湾の言葉、台湾語だったのだから。
 皆キョトンとしている。先生はおかまいなくしゃべる。ところが――ここからがおもしろくて彼らは皆その話をしたのだが――何日か何週間かあるいはもしかしたら何か月かたつと、先生の話すことがすっかり全部わかるようになっている。子供だから、自分がどういう段取りで先生の話がすっかり全部わかるようになったか、なんてことはわからないし考えもしない。
 しかし多分、地球上の多くの所、たいがいの所で、子供がそれまで家や近所でしゃべっていた言葉と、学校に入って先生が話す言葉とは違っていて、それがふしぎなことにわりあい短期間でわかるようになるんじゃないかなあ。幼時まわりがしゃべる言葉がわかるようになり自分もしゃべるようになるのもそうなんだから、――というような話になるのであった。
 なお台湾留学生たちの話はまだ先がある。一九四五年日本が敗けて日本人は皆日本に帰り、日本語は使われなくなった。入れ代りに中国大陸から中国人が来て、そのうちの学校の先生が学校へ来て教え始めた。中国語である。もちろん子供たちには一言もわからない。しかしふしぎなことにしばらくたつとこのたびもまた、すっかり全部わかるようになった、とのことである。
 当時の中国は中華民国である。一九四五年八月を境にして、それまで台湾は日本であり、それ以後台湾は中華民国になった。だから中華民国政府が台湾に学校の先生を送りこんできたのである。
 中国語(漢語)の話される地域は広いから、同じ漢語と言っても地域が違えば言葉は違う。通じない。台湾の人たちがしゃべっているのは主として閩南語が台湾に入ってきて数百年の間に変化した台湾語である。一九四五年以後大陸から派遣されてきた学校の先生が話すのは北方語である。北方語は俗に北京〔ペキン〕語とも言うが、北京方言とはちがう。河南省北部から河北省南部それに山東省西部あたりで話されている、漢語の中で最も有力な言葉である(山東省ではちょっとトーンがちがうが)。
 中華民国は知識人が政府の方針・指示で北方語を整頓し上品なものにして標準語とした。これを「国語〔グオイ〕」と名づけた(同じものを中華人民共和国は「普通話〔プートンホワ〕」と言う)。一九四五年に大陸から来た学校の先生が台湾の学校で話し教えたのはこの国語〔グオイ〕である。日本語も「国語〔こくご〕」として教えられたのだから字が同じだが、国語〔こくご〕は日本語のこと、国語〔グオイ〕は中華民国の標準語のことで、全く別物である。
 であるから、一九五五年(昭和三十年)以後にわたしが親しくした台湾留学生たちは、台湾語、日本語、国語〔グオイ〕の三つの言葉が話せたのである。これはもちろん、時期によっていろんな権力が台湾を支配したということだから、台湾の人たちにとって幸せなことではない。

(つづく)

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