国語という言葉 (1)

 国語、というのは今のふつうの日本人にとっては何でもない言葉である。
 子供のころの学校の教科の名である。国語・算数(数学)・理科……などの国語だ。それと入学試験の科目の名である。内容はだいたい、語や文の解釈である。「やんごとなき」とはどういう意味か、とか、この文は何を言っているのか、とか。
 学校を卒業して入学試験がすむと、国語という言葉とは縁が切れる。新聞は毎日読んでも、「これは国語の新聞だ」なんて言う人はいない。英字新聞と対比して言う時でも、「日本の新聞」と言うだろう。もっとも国語辞典は持っていて時に引く人は多かろうが、しかしその時に「自分は国語を調べるのだ」と意識して引く人はまずなかろう。
 そういう何でもない、縁のない言葉であるが、戦前は、ややこしい、険悪な言葉であった。
 国語という言葉は、今のふつうの日本人にとっては子供のころの学校の教科の名であるが、言葉自体は「国の語」つまり「日本国の言語」ということである。だから「日本語」と一応は同じことであるが、それが戦前はややこしかったのだ。
 「国語」という言葉(字並び)は中国に二千年以上前からあった。意味は全くちがう。『国語』は書物の題名である。中国の春秋〔しゅんじゅう〕・戦国の時代、二千何百年も前の大昔、中国は斉〔せい〕だとか魯〔ろ〕だとか呉〔ご〕だとかのたくさんの国にわかれていた。そのそれぞれの国の歴史(物語)を集めた本が『国語』である。つまり「諸国の歴史」「諸国の物語」の意である(大昔の中国では歴史と物語とは分離してなかった。同じことであった)。
 そういうわけで「国語」という言葉(字並び)は二千何百年前から中国にあったのだけれども、日本語の「国語」という言葉はぐっと新しく、つい百年あまり前、だいたい一九〇〇年前後のころにできたものである。日清〔にっしん〕戦争後である。安田敏朗『「国語」の近代史』(中公新書)に「一九〇〇年前後に官主導によって「国語」をつくりあげることが具体的に始まった」という通りである(なお一九〇〇年というのは切れがよくおぼえやすいから言うので、ぴったり一九〇〇年からという意味でないのはもちろんである)。
 日清戦争の前までは、日本には日本人が住んで日本語をしゃべっていた。しあわせな三位一体である。こんな国は多分ほかにはない。そりゃそうだ。地球上には何千もの言語があり、国の数は百かそこらである。平均的に言っても一つの国の中で地域によって十も二十もの異る言語が話されている。逆に一つの言語が地球上の複数の地域で用いられているケースもある。
 学校の教科の名、あるいは「日本の言語」という意味の「国語」という日本語ができて広く用いられるようになるのは、日清戦争後、清〔しん〕国留学生が大勢日本(主に東京)に来るようになってからである。一八九〇年代末である。同じころに学校の教科目「国語」も使われるようになった。それまでは「読本」(とくほん)「読方」(よみかた)などであった。わたしは一九四三年(昭和十八年)に学校にあがったのだが、一年生の国語の教科書は『ヨミカタ』で、科目名も「ヨミカタ」でしたね。
 なお、清〔しん〕(中国)留学生が日本へ来る目的は、日本で日本語を通じて西洋近代の科学技術ないし西洋文化を、なるべく安上りに手っ取り早く学ぶことである。日本は近いから渡航費も安いし生活費も安い。同じ漢字だから言葉もわかりやすいだろうと思った。何百人あるいは何千人の中国人留学生の中で、日本の言語や文化そのものに興味を持ったのはたった一人周作人だけだった、とはよく言われることである。あとの人たちにとって日本と日本語はただの通路だったのである。だから日本に留学しても日本びいきになった人はいない。
 日清戦争後、一八九五年に台湾が日本の領土になった。つまり台湾は日本の一部になった。台湾人は日本人になった。と言ってももちろん、以前からの日本本土(内地)の日本人と同じ日本人になったというわけではない。第一日本語を知らない。人種もちがう。だから従来からの日本人と同じ日本人になったわけではないが、一応「日本人」の範囲に入ったわけである。
(つづく)

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