播州言葉 (2)

 わたしは昭和三十年に大学の入学試験を受けるために初めて東京へ行った。そのころは入学試験を受けに東京へ行く者は中学高校の上級生の下宿に泊めてもらうのがならわしだったのでわたしもそうした。雑司ヶ谷だった。試験期間中下宿のおばさんとよく話をした。四十代くらいのおばさんだった。これが東京の人と話をした最初である。
 この話がおかしかった。おばさんの言うことは、わたしは全部わかる。それはあたりまえである。当時は映画が最もポピュラーな大衆娯楽だったから日本中どこの者でも東京の言葉は十二分に聞いている。ただしそれが、自分たちの平生しゃべる言葉には影響しなかった。
 わたしのしゃべる言葉がおばさんにはしばしばわからない。けげんな顔をし、首をかしげる。それはこちらにもつたわる。とうとう双方同時に声をあげて笑ってしまった。
 今考えるとあの時おばさんに、わたしのしゃべることがなんであんなに通じなかったんだろう、と思う。ふしぎである。播州弁丸出しだったのだろうか。
 一般的に言って、東京の言葉(あるいは首都圏の言葉)と関西の言葉とは無論ちがうけれども、相手からの言っていることがわからないというほどではない。
 大学に入ると、三鷹にあった寮に入った。寮は首都圏の者は入〔はい〕れない。事実上大部分が西日本の者である。と言ってもみんな昼間は学校へ行くのだから、首都圏の者ともつきあっている。
 わたしは寮で、山梨県甲府から来た小林という男と同室になった。小林はしょっちゅう、わたしのしゃべる言葉に腹を立てた。
 「お前はどうしてそんなに助詞を全部とばして物を言うんだ!」
というのである。
 初めは、小林が何をそんなに怒っているのかわからなかった。聞いてわかった。日本語には「は」「へ」「を」等々の助詞がある。わたしはしゃべる時にそれを全部とばすから、聞いていてイライラする、というのである。
 言われてみるとたしかにわたしは、たとえば「わいきのう学校行かなんだ」といったふうにしゃべっているようである。小林に言わせると、「おれは、きのうは学校へ行かなかった」とちゃんと助詞を入れて言わないと日本語のサマにならない、聞くにたえない、というのである。
 いったい、助詞をとばしてしゃべるというのは関西語一般の傾向なのだろうか、それとも播州言葉の特徴なのだろうか。この『関西方言の社会言語学』には全く触れるところがない。小林がイラついたくらいだから、関西一般がそうなのなら東日本の人には耳につくはずである。播州特有なのかもしれない。

 この本にこうある。
  〈関西人が、これは全国共通語だろう、と意識している語がある。チリメンジャコ(しらす)、コケル(ころぶ)、サンパツヤ(床屋、理髪店)、ナスビ(茄子)など。〉
 なるほどね。わたし個人の感覚で言えば、コケルは関西語だが、あとは全国共通語の感じで使ってきた、と思う。
 言われてみるとナスビのビは何なんだろう。辞書を見るとナスビが本来で、ナスは女房詞の省略形なんですね。日本国語大辞典二版に「語末のビはアケビ、キビなどの植物に通じるものか」とあった。これはナスビが全国共通語の感覚でいいわけだ。
 なおこの本に関西一般に広く使われているものとして「ナオス(かたづける)」をあげてあった。
 これはわたしが昭和三十年代初めに東京へ行って、よく聞いた一つ話がある。
 ある会社で、関西から東京へ課長さんが転勤して来た。課員が提出した書類を点検して、「はい、なおしといて」と返した。課長が言ったのはもちろん、元の所にもどしておいて、の意味である。ところが課員たちは東京の子だから、訂正しておいて、の意味に受け取った。
 今度の課長さんは恐い人だ。どこがまちがっているとも言わないで、なおしておけと言う。課員たちは書類を初めから丹念に見なおし、数字が主だから原材料と見比べたり験算したりした。見つからない。とうとう徹夜になってしまった。翌日出勤して来た課長さんにおそるおそる、どうしてもまちがいが見つかりません、と申し出た。課長さんはキョトンとした、――という話である。あっちこっちの会社でほぼ同様の伝承が語られていたのだろう。元になる事実もあちこちであったに相違ない。
 上記辞書「なおす」の項に、
  〈近世、関西地方で、「しまう」ことをいう。〉
とあり、十九世紀前半(江戸時代末頃)にできた『大阪江戸風流ことば合せ』という本に、
  〈大阪にて、直しておく、江戸にて、しまっておく〉
とあるのを引いている。
 この件がよく語られるということは、逆に言えば、東と西とで誤解が生じる言葉はそれくらいのものだった、ということも言えるのかもしれない。

 いま播州言葉はどれくらい変容しているだろう。播州にいながらつきあいがせまいのでよく知らない。ここ五十年あまりテレビの普及子供の言葉への影響が甚大であったとは聞くところである。
 最も消滅したのは多分人称だろう。われわれが子供のころ若いころ、男の子の一人称は「わい」だった。中年老年は「わい」「わし」半々ぐらいだった気がする。「わし」のほうが重々しさがあった。もっとも同じ播州でも地域によっては子供でも「わし」と言っている所もあったかもしれない。わたしが知っているのは播州の一地域である。
 相手を言う語は「お前」だった。相手が上級生でも「お前」だった。ほかにないんだからしょうがない。東京へ行ってから、上級生に「お前」なんて言ったら殴られるぞ、と言われたことがある。本当に殴られるわけではない。不適当だということである。それじゃどうするのか。姓に「さん」をつけて言うように教えられた気がする。
 今の子はもう「わい」「わし」とは言わないようである。「ぼく」「おれ」であろう。相手を言う語は「きみ」になっているんじゃないかと思うが、もしかしたら「お前」も残っているかもしれない。
 人称以外、言わば無意識にしゃべる言葉は、個々の語彙にテレビの影響はあるにしても、案外変ってないのかなあと、時に耳に入る子供たちの発言を聞いて思うことがある。

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