本はおもしろければよい (4)

 敗戦後わが家は、駅から坂を下〔くだ〕った埋立地の一画を買って家を建てた。地名は陸〔くが〕と言う。陸〔くが〕は高台という意味だから駅のあたりが本来の陸〔くが〕なのだが、坂を下った埋立地までその地名に含めてしまったわけだ。
 陸〔くが〕へ移って磯部と家が近くなった。何十年ものち、母が死んでからでもよほど経ってから、何かの折に磯部が言った。
 「お前のお母さんは偉かったなあ。孟母三遷〔もうぼさんせん〕や」
 何のことかときくと、戦後の苦しい時期に無理して陸に土地を買い家を建てたのは、それまでいた所が女郎屋の近くでだんだん大きくなるわたしの教育によくないからだ、というのである。
 「そんなこと友だちはみんな知っとった。知らんのは当のお前さんだけや。ほんまに抜け作や」
 磯部はそう言った。磯部は子供のころ山を走り回ったり同級生と殴り合いの喧嘩をしたりする乱暴者でわたしはどちらかと言うと敬遠していたが、ちゃんと見ていて、それをあとでおぼえた「孟母三遷」という言葉と結びつけるところ、えらいやつだと感心した。
 また立花と家が近くなって、しょっちゅう遊びに行くようになった。立花も幼稚園からいっしょだが、家が近くなって急速に親密になったのである。立花の家は大きかった。立花は磯部とちがってどっちかと言うと弱虫のほうで、幼稚園以来よく強いやつに泣かされた。
 立花には少し年の離れた兄がいた。直接話したことはない。家が大きいのでこの兄は自分の部屋を持っていた。兄がいない時に立花が「内緒やで」とその部屋を見せてくれたことがあった。
 本棚があって本が並んでいる。そのなかに「岩波文庫」という背の低い本が並んでいる一画があった。わたしはそのイワナミというシリーズ名を見て、イワヤサザナミ(巖谷小波)だと思った。「イワヤサザナミの本がこんなにある!」と胸ときめかして背文字を見てゆくと、「小僧の神様」というのがあった。豆粒のような小さな神様が悪者の口から入ってお腹の中で大暴れする、という本だと思い、立花に「これ見して!」と頼んだ。立花は困って躊躇したが、一番の仲良しのたっての頼みである。「薄いからすぐ返しといたら一日ぐらい抜けとってもわからんやろ」と抜いて貸してくれた。
 持って帰って読んでみるとイワヤサザナミではなかったし、豆粒大の神様の大暴れの話でもなかったが、非常におもしろかった。なかでも「清兵衛と瓢簞」というのが一番おもしろかった。そのおもしろさは、わたしがそれまで知っていた本のおもしろさとは全く違うおもしろさだった。急に、今まで知らなかった広さと深さを持ったおもしろい本があることを知って、未知の世界が広がった気がした。
 ある日父親が興奮して帰って来て、「今日皆勤橋〔かいきんばし〕で立花さんが声をかけてくれた!お前のおかげや!」と言う。皆勤橋というのは造船所に渡る浮橋である。上の平らな四角い浮台をたくさん縦につらねて綱〔つな〕でつないである。造船所に勤める者は皆そこを通るから「皆勤橋」である。船が通る時は綱を解いて浮台二台か三台横に開くとどんな船でも通れる。
 それでその日皆勤橋で、造船所の立花専務が父に「おう高島君か」と声をかけ、「うちの周児〔しゅうじ〕がお宅の息子さんと仲良うしてもろうとるそうな」と言ってくれたのだそうである。父から見ると本社の専務と言えば雲の上の人である。それが直接親しく声をかけてくれたというので感激しているのである。父はその後何度も何度もこの話をくり返した。
 わたしはもちろん立花の父親が専務だなんて知らなかった。そもそも「専務」という言葉も知らなかった。立花も、父親が造船所に出ていることは知っていても、重役だとか専務だとかいうことは知らなかったろう。
 立花は多分、食事の時などによく、今日高島が来たとか高島と遊んだとか言い、父親は周児がそんなに仲良しの友だち、として高島という名をおぼえ、何かの折にその父親が下請〔したうけ〕の建築屋だと知って、部下の者に大本〔おおもと〕の高島というのはどの人かと聞いて一言挨拶しようと思ったのではなかろうか。とにかく、何千人が渡る皆勤橋で立花の父親がどうやってあれが大本の高島だとわかったのか、ちょっとふしぎな感じもする。そう思うと父が突然声をかけられて大感激したのももっともだという感じもする。大本というのは父が勤める下請の建築屋の名である。
 ずっとのちになって福沢諭吉の『福翁自伝』を読んだら、中津藩では、父親の身分階級によって子供同士の言葉づかいにも上下の差別があったと書いてあったので「へえ」と思った。わたしが育った所ではそんなことは全くなかった。どの子の父親も造船所関係で当然身分の上下があったに相違ないが、子供たちはそんなことは知らないし、気にとめる者もいなかった。立花はよく叩かれたり泣かされたりしていた。叩いたり馬乘りになっていじめたりしたほうの父親もいずれ造船所関係で、立花専務とは家老と足軽くらいの身分差があったかもしれないが、子供たちの世界には関係なかった。言ってみれば、明治以後子供たちの世界はまっさきに民主化していた、ということだろう。

(つづく)

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