本はおもしろければよい (2)

 そういう町だから、書店は一軒もなかった。まわりに本がなかったのは当り前である。母が「講談社の絵本」を買ったのはいわゆる「なんでも屋」だったんじゃないかと思う。
 本の形をしたものなら何でも読んだ。父は本など読まない人だったが本棚はあった。建築の本ばかりだったらしい。『ラーメン』という本があったので見たが、わけのわからぬむずかしい本だった。今辞書で「ラーメン」を引いてみると「ドRahmen(枠)建造物・構造物の枠形の骨組」云々と説明がある。背文字がカタカナだからとて子供にわかるはずがない。ふつうの本はたった一冊、池田宣政『偉大野口英世』だけだった。なんでこれ一冊だけがあったのかわからない。これは一冊まるまるおぼえてしまうほど、くりかえし読んだ。何しろ本はこれ一冊しかないんだから――。最初の、
  「をばさん、鰌〔どぢやう〕買つてくんなよ。なあ、をばさん」
はいまだにおぼえている。
 それ以外に母が取っている『主婦之友』のバックナンバーがあった。これは忙しかった。もう便所紙のない時代だから『主婦之友』は古い順に一家のトイレットペーパーになる。その前に読み終らないといけない。何を書いてあるか考えながら読むなんてひまはない。とにかく全部読む。総ルビだから全部読める。毎号出てくる菊池寛と吉屋信子との名前をおぼえた。
 学校にあがると同級生たちに、家に本があったら見せてくれ、と頼んだ。親はたいてい造船工だから、本らしい本はない。古雑誌が多かった。その友だちに兄がいて兄の買ったものが半端に残っていたのか、『少年倶楽部』のバックナンバーが一番嬉しかった。『少年倶楽部』はわたしも取ってもらったが、それは昭和十八年以後だからだんだん薄くなって、十九年には六十四ページ、二十年には折畳〔おりたたみ〕式三十二ページ、それも合併号が多くなる。アッという間に読んでしまう。連載は大佛次郎の「楠木正成」一つだけで、これがまたちっともおもしろくなかった(折畳式の雑誌というのは紙一枚で、これが表裏のいろんな方向に字を印刷してある。折畳むとページが合って字が同じ方向になる。これを上と下と左とのページを切って右側を針と糸で縫うと表紙も含めて三十二ページの雑誌になるのである)。
 それが戦前(昭和十年前後から十年代前半ごろ)の『少年倶楽部』となると夢のように部厚くて初めからしまいまでおもしろかった。連載物が多くてそれは部分的にしか読めないが、それでもおもしろかった。
 そういうわけで本好きの子供にはいい時代ではなかったが、ある意味では、いい時代だったとも言える。
 「男の子は強い兵隊さんになって憎いアメリカをやっつけ、天皇陛下に命を捧げましょう」「女の子は強い兵隊さんを生む強いお母さんになりましょう」の時代である。
 先ごろ本を読んでいたら「戦争中の男の子は、陸軍大将、海軍大将になるのを夢見ていた」と書いてあったので、あきれると共に腹が立った。書いたのは戦後生れの、戦争中の緊迫した空気なんか全然知らないやつだろう。
 少くとも対米英戦争中にそんな悠長なことを考えていた男の子はいない。予科練(海軍少年飛行兵養成校)に何万という少年が殺到したのでもわかる。予科練は海軍大将を育てる学校ではない。すぐ飛行機を操縦してアメリカ艦隊に突っこんでゆく少年飛行兵を作る学校である。飛行機乘りが一番の人気だったが、そうでなくても男の子なら兵隊になるにきまっていた。
 そういう時代だから、周囲に「本を読みましょう」とか「本を読むのはいいことです」などと言う人はいなかった。もちろん学校の先生も言わなかった。「体をきたえましょう」ばかりである。
 だからわたしは本が好きだったが、それがいいことだなどとは全く思わなかった。と言って特に悪いことと思っていたわけでもない。ただ好きだというだけである。だから学校へ行き出すと友だちに片端から家に本があったら見せてくれと頼んだのである。
 なお本が好きだからと言って兵隊になるのはイヤだというのではない。当然兵隊さんになって天皇陛下に命を捧げるのだと思っていた。
(つづく)

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