ハ行転呼

 手あたり次第に本を読みちらかしてくらしていると、いろんなことばが出てくる。もちろんいちいち立ちどまって考えたり調べたりしない。たいてい意識することもなく通りすぎる。「ハ行転呼」ということばもよくお目にかかるような気がする。
 わかりきったことだからそのまま通りすぎる。今の若い人でも子供でも、「僕は言った」をボクワイッタとよむ。立ちどまって、えっ、おれは今なんで「は」をワと発音したんだ、なんて考える人はいない。
 若い人が出会うのは「は」と「へ」(「山へ行く」のへ)ぐらいだろうが、昔は、つまりわたしみたいな年寄りが子供のころには、無数にあった。一年生が習うような文でも、「カヒマシタ」(昔はカタカナ先習です。買いました)はカイマシタ「カフ」(買ふ。カッコ内は漢字かなまじりの書きかた)にカウ、「カヘバヨイ」(買へばよい)はカエバヨイ、「トホクノヤマ」(遠くの山)はトークノヤマ(トオクノヤマ)。みなあたりまえだから意識もしなかった。
 もちろん「ハ行転呼」なんてむずかしい語は知らないが、事実は誰でも知っていた。「カヒマシタ」をカイマシタと発音するのがハ行転呼である。
 たまたま大修館書店の『日本語講座6日本語の歴史』の秋永一枝先生の「発音の移り変り」を読んでいたらこうあった。
  〈このハ行転呼というのは語頭以外のは【ヽ】行音がわ【ヽ】行音に発音するように変化した現象で、カファ(川)がカワ、コフィ(恋)かコヰ、マフェ(前)がマヱ、カフォ(顔)がカヲとなる類である。(…)体系的な変化がほぼ完了したのは十二世紀までかかるようだ。〉
 つまり平安時代末頃までにハ行転呼がほぼ完了したのである。ワ行音の発音はwa、wiにwe、wo。ただし、
  〈現代の京都方言や東京方言では、母はハハ、甚だはハナハダ、家鴨はアヒル、業平はナリヒラ、尾羽はオハ、朝日はアサヒ、月日はツキヒというようにハ行転呼しない。〉
とあるように、全部が全部というわけではないのである。
 秋永先生は(残念ながら生年が書いてないのだが)東京下町の女の子のならわしで六つの年の六月六日から長唄のオッショサンに通ったが、『鞍馬山』で、
  〈「我未だ三歳の時なりしが、母常磐がふところに抱へられ」をハワと唄えと言われ不思議でならず、オッショサンにわけを聞いたが「昔からそう唱うことにきまってんのよ」と軽くいなされてしまった。その後、母の腰巾着で文楽に行くと『菅原伝授手習鑑』の中であったかしきりにハワサマを連発するので、子供心にも昔はハワと言ったんだなあと納得したことだった。〉
 東京下町の女の子が六つの六月六日からチントンシャンを習いに行ったというのは戦前、多分明治大正のことなのでしょうね。
母をハワと言ったこと、ほかの本にもあった。
  〈文節の第二音節以下に位置するハ・ヒ・フ・ヘ・ホの各音が、それぞれワ・ヰ・ウ・ヱ・ヲの音に変化する現象。(…)ほとんどの和語について起こったが、「朝日」など複合語の後項の第一音節や「はきはき」「ほとほと」など同一形態の繰り返し、アヒル(家鴨)など新しい語には起こらないこともある。また「母」・「頬」・「気配」などのように一時ハワ・ホヲ・ケワイとなったが、現在もとのハハ・ホホ・ケハイに戻った語もある。〉(『日本語学キーワード事典』朝倉書店)
  〈文節の初め以外のハ行子音がワ行子音に変化する現象。「はは【○】(母)」「ほほ【○】(頬)」「はなはだ(甚)」「けはい」などは現代ではハ行音で発音されるが、文献上、ワ行の仮名で表記されたことのあるもので、一度は転呼したが、後にハ行に戻った類であり、「はは」「ほほ」は同音のくりかえしという意識に支えられるものとも考えられる。〉(『国語学研究事典』明治書院)
 母ハハはジジ・ババ・チチ(テテ・トト)などの同音重ね家族呼称にひっぱられてハハにもどったのだろうと書いているものもあった。
 どの本にも「は」と「へ」――「山は」の「は」と「山へ」の「へ」――について書いてない。
 もっとも「文節の第二音節以下に位置するハヒフヘホ」「文節の初め以外のハ行子音」とあるから、「は」「へ」はハ行転呼に含まれるとも受取れる。
 しかし「思はず」「思へば」などの「は・へ」と「山は」「山へ」などの「は・へ」とは種類がちがう。山は山への「は・へ」は、「に」「と」「を」「が」などと同類の、短いながら独立の単語である。山は・空は・鳥は・犬は……などの「は」は山・空などとは別の独立の一語である。しかし文の頭に来ることはない。
 するとやはり「は・へ」をワ・エと言うのはハ行転呼に含まれるのだろうか。しかしそれならどの文もハ行転呼をのべるのに助辞は、へについてなんでふれてないのだろうか。
 もう一つ。「は」はワwaと言う。ならば「へ」は昔はウェweと言ったのだろうか。
 今ア行の「え」の音【おと】はエeである。しかしわりあい最近まではイェyeだった。カタカナ・ひらがなともア行のエとヤ行のエと同じ字を書くのは同じ音【おと】(音声)だったからだ、とは何にでも書いてある。江戸はyedoであった。
 すると「山へ」は山イェyeだった。ハ行転呼なら山ウェweになるはずである。
 山への「へ」はyeだったのだろうか、weだったのだろうか。

プロフィール

たかしまとしお

Author:たかしまとしお
高島俊男「お言葉ですが…」ブログへようこそ!
ここでは「お言葉ですが…」の最新原稿と単行本未発表の書評などを掲載します。

単行本著作一覧・連載記事一覧は下記リンク欄をクリックしてください。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク