江戸の天才数学者

   鳴海風 『江戸の天才数学者 世界を驚かせた和算家たち 』 (新潮選書)

〈身分を超えて学術を楽しんだ人々〉

 江戸時代と現代とでは、社会における数学の位置がまったくちがう。
 現代の数学は、子どもが学校でいやいややらされるものであり、入試の苦手課目である。それが尾を引いて、おとなになって五十年たっても「数学」と聞いただけで拒絶反応を示す。はい、かく申す小生がそれであります。
 ところがこの本を読むと江戸時代はまるでちがうのですね。知的娯楽、ゲームであって、全国に数学ファンがいっぱいいる。今の碁・将棋にあたると言っていい。もちろんいやいややらされる者は一人もいない。
 この本には著名な数学者の名前がいっぱい出てくる。レベルも高かった。関孝和は「世界に先駆けて行列式やベルヌーイ数を発見」したとある。建部賢弘は「円周率の自乗の公式」をスイスのオイラーより先に発見した、と今の数式になおして示してくれているが、無論わたしにはチンプンカンプンです。
 わたしが名前を知っていたのは甲州犬目村の兵助である。百姓一揆の本によく出てくる。天保の大一揆の首謀者で、死刑になる寸前に逃げ、全国各地を逃亡した。数学を教えて逃亡の費用をかせいでいたとあるので、そんなことができるのかとかねて思っていたが、この本にはそういう「遊歴算家」が多く出てくる。つかまれば死刑、というのは兵助だけだけれども――。
 遊歴算家は「現代風に言えば、移動数学セミナーをおこなう有名大学の教授のようなもの」とある。大したものなのである。
 この本には主として山口和という人のことを書いている。今の新潟県の農村の生れで、江戸へ出て「数学道場」(有名な塾の名)に学び、ここで一二を争う実力を身につけて、遊歴算家になった。奥羽から九州まで全国をまわっている。
 今の宮城県あたりで千葉胤秀という数学者にあった。門弟三千人という実力家である。四日にわたって議論した。結果、山口和のほうが力が上とわかった。千葉胤秀は十も年下の山口和に、弟子にしてほしいと頭を下げた、とある。実力だけの世界なのである。胤秀も立派だ。山口和は、江戸へ行って数学道場で学びなさい、とすすめた。胤秀は言われた通り江戸へ出て学び、十数年後、数学道場版として『算法新書』という「後世に残る名著」を出版している。
 山口和や千葉胤秀は農村出身の人だが、一方有馬頼徸という数学者は、九州久留米藩の藩主、つまり大名である。子どもの時から数学が好きで、関〔せき〕流の学者(幕臣)の門人になった。
 このお殿様学者の生地について「久留米城で生まれた」とあるのは不審に感じた。大名は参勤交代するが妻子は幕府の人質だから江戸常住である。「入〔いり〕鉄砲に出女〔でおんな〕」で大名の奥方は江戸を出られない。国元の妾が生んだ子のようでもない。江戸で数学を学んだことはたしかである。藩主になってからも多くの数学書を著わした。数学の世界に身分はない。
 ただ、主流の関流は家元制度をとり、高度の数学は秘伝として公開を阻んだ。上にわたしが名をあげたのはみなそれに反対した人たちである。有馬のお殿様も、関流に学んだけれども学術の公開を主張し実践した人であった。
(『文藝春秋』’12.11)

江戸の読書会

   前田勉 『江戸の読書会 会読の思想史 』 (平凡社選書)

〈身分と勝敗が衝突する知的な「遊び」〉

 若いころから、ずいぶん読書会はやってきた。「この本をいっしょに読もう」と仲間があつまって読む。規約などうるさいことは何もない。途中から加入する者もいるし、来なくなるやつもいる。すべて自由である。読むのは外国語のものだから下調べして行って、順ぐりに読んで訳したり説明したり質問したりしながら進んでゆく、というふうである。
 しかし、日本人はいつからこういうことをやっているんだろう、なんて考えたことはなかった。
 この本は、その昔の読書会について書いたものである。昔は「会読〔かいどく〕」と言ったのですね。
 始まったのは京都の伊藤仁斎〔じんさい〕の学塾と江戸の荻生徂徠〔おぎうそらい〕の学塾、特に後者がきっかけで全国に広まったとあるから十八世紀である。読むのは儒教の経典である。やりかたはわれわれの読書会と大差ない。ただ、多くのばあい先生がいる。先生はみんなの解釈や討論を黙って聞いていて、最後に優劣を判定し、採点する。
 著者は、会読を主要学習形態とする日本の学問が、世俗の名利と結びつかない「遊び」であったことをくりかえし強調する。中国・朝鮮では、学問は高官位高収入に直接つながるものであったのだから、これは根本的な相違である。この、純粋に「遊び」であるという点は今の読書会と同じである。
 大いにちがうのは、昔の会読は激烈な「競争」の場であった、という点だ。うまく読めた者は席順があがり、読めなかった者は席順がさがる。寄宿寮では寝場所までちがってくる。会読は、遊びのなかでも、勝ち負けを争う遊びである「アゴーン(競争)」であったのだ、とある。
 ややこしいのは、江戸時代は身分制社会だったことだ。身分のあつかいは私塾と藩校とでよほど違う。私塾は、生徒の入学時の年齢・学習歴・身分の違いをゼロにして、ヨーイドンで競争を始めさせる所が多い。武士と庶民さえ一応対等ということになる。藩校はそうはゆかない。家老の子もいれば下士の子もいる。身分が物を言う。
 この本には福沢諭吉がよく引用されるが、福沢は、身分は低いが学校で会読となれば「何時〔いつ〕でも此方〔こっち〕が勝つ」と言っている。身分の上下と会読の勝ち負けとが衝突するのである。
 西洋の学術が入ってくると、会読は消滅した。その初めは幕末の文久三年(一八六三)に医学所頭取となった松本良順である。それまでは、学生がオランダ語の医書を読んで、これは前置詞だとか接続詞だとかやかましくやりあうのが医学所の勉強だった。遊び・競争である。医術とは全然関係ない。
 良順はそういう勉強を一切禁止し、頭取が一方的に、理化学、解剖学から始めて内科学・外科学まで系統的に講義し、学生はそれを聞いて記憶する西洋式のやりかたに改めた。確かにそうでなくては近代的医師は養成できないが、役人は教室が急に静かになったので良順に苦情を言ったそうだ。
 明治以後の学校は皆西洋流・松本良順式で、知識を系統的に教える。
 われわれの時代の読書会は、自発性・対等性など昔の会読と似た所もあるが、勝負の要素はない。会読の伝統とは断絶したものであったようだ。
(『文藝春秋』'13.2)

天下無敵のメディア人間

   佐藤卓己 『天下無敵のメディア人間 喧嘩ジャーナリスト・野依秀市 』 (新潮選書)

〈「言論界の暴れん坊」と異名をとった男の生涯〉

 傑作『「キング」の時代』(岩波書店)でメディア史のおもしろさを広汎な読者に知らせた佐藤卓己さんが、またまた、飛びきりのメディア人間野依秀市〔のよりひでいち〕の明治から昭和戦後にまでまたがるハチャメチャな活躍を、見事に描き出す本を書いてくださった。
 「広告媒体(メディア)」は第一次大戦中にアメリカで生れた言葉である。野依秀市のメディア活動はその前から始まっている。
 大正デモクラシーの時代は、日露戦後、明治40年ごろから始まる。民衆の時代であり、広告の時代である。一人の賢者の知遇を得るより千人の愚者に名を知られるほうがずっと値打ちがある。野依はこの時代のトップバッターである。
 野依は広告取りの達人である。広告取りはユスリと紙一重である。
 一方、野依がその長い広告人生で売り広めた商品は「野依秀市」であった。野依秀市の知名度があがれば金はいくらでも入る。入った金で野依秀市を売る。時代を先取りしていた。
 初めは、明治38年20歳、慶応の商業夜学校生の時に友人と作った『三田商業界』というごく小さな雑誌である。小さいが広告は有名大企業からうまく取ってくるから金はもうかる。
 雑誌の呼び物は各界著名人の放談であった。初め、慶応出身の著名人から名刺を1枚もらう。同じものを多数印刷して表に「この者は前途有望の青年です。引き立ててやって下さい」と書いて著名人に会い、談話を取って大きくおもしろく書き、紹介状をもらってまた別の著名人に会う。つまりイカサマだが、だれもが野依に好意を持ったというから、トクな人柄なのである。
 3年後に『実業之世界』と誌名を変えたころには、各界著名人――財界の大御所渋沢栄一、早稲田総長(首相)大隈重信、文壇の大家三宅雪嶺等々が後楯につき、発行部数も数万部に達していた。
 野依は数百冊の著書を出したが、皆他人に書かせたものである。書き手はたいてい堺利彦、山川均など一流の社会主義者だから、文章も達者だし、社会批判や資本主義批判も鋭く、よく売れる。「おれの本はみな人に書かせたものだ」と威張るその文章も堺などが書くのである。雑誌も、そのものズバリの『野依雑誌』など数多く出した。
 しょっちゅう恐喝罪で監獄に入る。その際は東京の一流の会場に各界著名人多数を招いて盛大に入獄歓送会を催し、はなばなしく入獄する。出獄の際も同じ。そして大々的に獄中記を発表する。弁護士は常に名の売れた人権派弁護士が何人もついている。
 どこにでも誰にでも喧嘩を売る。政府、大臣、大企業、有名人、いっさい容赦しない。特に昭和初年の軍部攻撃はすごい。あの時代に野依ほど正面から軍を批判した者はいない。
 と言って、左翼というわけではない。「敵本位主義」だから、右を叩く時は左、左を叩く時は右である。軍部を攻撃する時は天皇をかついだ。
 戦争中は「米本土空襲」を看板に、東条英機首相の非科学性と言論圧迫に敢然と刃向かって見せた。
 メディアのおもしろさと怖さを生身で体現した一種天才人物の生涯とその時代が目に見える1冊である。
(『文藝春秋』’12.7)

中国・電脳大国の嘘

安田峰俊『中国・電脳大国の嘘  「ネット世論」に騙されてはいけない 』 (文藝春秋)

〈インターネットは厄介な隣国を変えるのか?〉

 いま、中国のインターネット人口は五億人に達する、と言われる。
 ネットではしばしば、従来の中国の官製報道とは異なる、中国のふつうの人々の、生のすなおな声、息吹きを感じることができる。
 そこから、ここ一両年、日本のメディアでは、「ネット世論が中国を変える」という見かたが、よく示される。
 しかしほんとうにそうだろうか。そう見ていいのだろうか。
 この本はその問題を、実証的に考察したものである。著者は数年前から中国のネット掲示板にあらわれる言論を日本に紹介し、また実際に中国の各地へ行って、それら発信者と直接交流している元気のいい青年。この本は、題は大向う受けを狙ったやや浅薄な感じだが、内容はまことにしっかりした、誠実なものである。
 中国のネット人口は五億だが、真に自由に国外の情報や考えかたに触れることのできる「ツイッター」の利用者は十万人程度、ネットユーザーの〇・〇二%ほどにすぎない。
 著者は、これらの人たちに会い、話を聞いている。みな若い、高学歴で聡明な、したがって多くは都会の恵まれた企業に在籍する、知的なエリートである。当然みな、体制に対して冷淡、客観的、時には批判的である。
 しかし、獄中でノーベル賞をもらった劉暁波のような、実践的反体制知識人とはまったくちがう。言わばひよわな良心的知識人であり、体制を変えてゆくようなたくましさ、パワーは持ちあわせない。将来の中国が、彼らのような価値観を持つ人たちが主役の国になれば……とは誰しも思うが、「そんな素晴らしい未来はおそらくやって来ないだろう」と著者は言う。
 昔も今も中国は、圧倒的多数の民衆と、強い為政者と、知的で上品だが無力な知識人から成る国である。いま新しいネット時代になって、ネット利用者の一部から、為政者に対する「不平不満」も聞かれるようになった。
 しかしその不平不満は、体制そのものにはめったにむかわないし、本物の反体制知識人はあまりにも少数、弱体である。
 日本人はこれまで、中国に一方的な期待や願望を寄せ、それが冷酷な現実によって裏切られると、一気に軽蔑に傾く、という歴史をくり返してきた。
 もう、その「カン違いの歴史」から脱出しよう。中国とつき合ってゆく心構えを著者は三点にまとめる。
(1) 中国に日本人としての理想を投影して、相手側の動向に一喜一憂しない。
 たとえば「反日」熱を気にしない。中国人は昔から「乗風転舵」、お上の風向きに合わせてふるまうことによって生き延びて来た人たちなのだ。
(2) 中国や中国人を必要以上に蔑視し、思考を停止しない。
 個人的に見れば、中国には優秀な人、立派な人が多いことを忘れてはならない。
(3) 中国を、日本の価値観の延長線上にある国ではなく「ただの外国」だと考える。
 一々その通りである。よくこれだけきちんと、過不足なくまとめてくださった。近ごろ「中国本」のヒットである。(『文藝春秋』’12.3)


見えざる隣人

吉田忠則『見えざる隣人  中国人と日本社会 』 (日本経済新聞出版社)

〈六十五万人の在日中国人の実像に迫る〉

 いま日本に住んでいる外国人のなかで、何人〔なにじん〕が一番多いか。それは中国人なのだそうです。
 これはちょっと意外だったね。なぜって、「韓国・朝鮮人が断然多い。外国人と言ってもこれは別格」というのが、長いあいだの日本の常識だったからです。
 ところが本書によると、二〇〇七年にとうとう中国人が抜いてトップになっちゃった。いま日本にいる中国人は約六十五万人。すごい数だね。
 どういうことをしている人が多いのか。
 まず留学生が八万数千人。全留学生の六割を占める。つまり中国以外の世界各国各地域から来ている留学生を全部あわせても中国一つにかなわない。「教授」として日本にいる人が約二千五百人。もちろんダントツ。第二位のアメリカ人を倍以上ひきはなしている。
 これにも驚いたね。全国どこの大学にも、二人や三人は中国から来た先生がいる勘定になる。みな日本語ができて日本語で授業している。
 それから社長さんが多い。中国人は人に使われるのがきらいで、しばらく企業に勤務していても、すぐ独立して自分の会社をおこしちゃうんだそうです。
 どういう会社が多いのか。
 断然IT(情報技術)関係が多い。小生この本を読むまでITなんてことば知らなかったよ。ところがこの本にはほとんど毎ページのようにITが出てくる。
 中国はこの方面が盛んで、毎年大学の情報工学系の卒業生が三十数万人いる。つぎがなんとインドで二十数万人。対してアメリカ九万人、日本二万人とある。こりゃITさんがぞくぞく日本へ来るわけだよ。
 六十五万の中国人たちは、日本全国に均等にちらばっているわけではない。いる所にはかたまっている。その代表が埼玉県川口市芝園〔しばぞの〕町の芝園団地だ。高層集合賃貸住宅である。町全体が団地で、ここに千八百人ほどの中国人がいる。町の人口の三分の一が中国人である。中国人は中国人同士群れることを好むからこんなに多くなった。
 日本人との関係はよくない。団地の自治会には一人も入らない。しょっちゅう摩擦がおこる。問題は種々あるが、日本中どこでも中国人がいる所でおこるのが、ゴミ出しのルールを守らない、声がでかい、などだ。きめられたゴミの分別をせず、デタラメに捨てる。団地の自治会長さんは、「最低の人種だ」と吐き捨てている。
 ゴミ捨てのルールを守らなくても処罰されるわけではないし、第一だれが捨てたゴミかわからない。そういう規則は中国人は守らないのである。
 芝園団地に住む中国人の九割が大学卒で、そのほとんどが例のITなど知的な職業についている。中国人のばあい、高学歴、知的職業、教育熱心などと、社会的ルールを守ることとは無関係なのである。
 自治会長さんが言うように中国人とはそういう人種なのであるか、それとも社会主義がこういう人間を生んだのか。
 ああ、この本は日本経済新聞の連載記事をまとめたもので、著者は同紙の記者です。(『文藝春秋』’10.3)
プロフィール

たかしまとしお

Author:たかしまとしお
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